『俳優の仕事』第一部
第5章 舞台における注意3

先生が[「何らかの対象に狙いを定めるんだ」]と、タオルを見るように言われて

こう言われたら、自分なら何を思って見るかなーって考えたら
何か違和感を感じている、探偵みたいな感じとしよう
って設定して動くかなー、と

生徒組は
[みんな緊張して、タオルを見つめた。]
それに対して[「それでは見ていることにならない。君たちは対象を目に据えているだけのことだ。」]
と、指摘

多分私はある種こういう部分はクリアできてるから<目的>をちゃんと設定して芝居としてやろうとできるようにはなってるのかなー、と

先生は生徒達に
[「あまりにも機械的に見ている」]と

結構これ芝居で多いんだよね(´・ω・`)
まあそれはもはや芝居と呼べないけど
機械的に台詞を言う、ってのもある種同じかなー、と
まああくまで私基準だけども

先生は生徒達に
[「注意深いということと、注意深いように見せているということは全然別のことだ。
見ているふりをしているのと、本当に見ているのとどう違うのか、自分で検討してみたまえ」]と

前半の実際にそうだということと、そういう風に見せることは違うことだ、ってとこ
ここの意識が大事じゃないかな

つい、後者に私も走っちゃうことやっちゃうな
それでできてないなーって思う時は大抵後者に走ってるから、前者で解決しないと芝居としてよくないんじゃないかな…
先生も、作るのは「言い方」じゃなくて「心」って仰ってたし

[我々俳優は舞台で何かを見ていながら、そのじつ、何も見えていないということがよくあるのだ。
俳優のうつろな目ほど恐ろしいものがあるだろうか!
うつろな目は、演技者の魂がまどろんでいること、その注意が劇場の外、つまり舞台上に描かれている生活の外にあること、俳優が役と関係のないことを考えていることを雄弁に物語る。
しきりによく廻る舌や自動的に動く手足が、意識を持った、生命力溢れる目の代わりを務めることはできない。
目が<心の鏡>と呼ばれるのは最もなことだ。」]

私はこのことを知ってる、そんな役者に出会えたからこそそこに魅力を感じて、目指せてるのかなって
始まりは、演劇部の同級生
そこから見に行った舞台のキャストさんたち
目の奥が変わる、そんな芝居に憧れてそこを目指してる

でも[「公演中の劇場でもそうあるべきなのだが、なかなかそうはいかない。」]
厳しい批評家、演出家に注意をとられてしまい、相手役へあまり注意が向けられないことも

[「舞台の上で見たり、目にとめたりすることが、俳優にとっていかに大事なことであるか、これで君たちにわかっただろう。」]

[「君たちは、こんな難しい技能を身につけていかなければならないのだ」]

という言葉で締められていた

そう、それが「演技」であり「演じる技」なのかなー、とか思ったり