『俳優の仕事』第一部
第3章
行動。<もしも>、<与えられた状況> 3
今度はまるで家のようなセット
逆にフットライトとかの位置はわからない…
そして先生に「真に根拠と目的をもった行動をしなくてはいけない」と言われる
他にも先生は生徒達へ指示をする
[先生からは、こうした機械的な、根拠の無い行動は、意識的な根拠のある行動に比べて、舞台ではずっと早く済んでしまうものだと諭された]
確かにこれはあるかも
だから、棒立ちになっちゃったりするんだろうな
私もセリフ言うだけになってたからわかる気がする…今はそこからは脱せてると信じたい。
[「君が機械的に、はっきりとした目的も持たず行動している限り、君が注意していなくてはならないものは何も無いからね。実際、数脚の椅子を並び替えるのに時間はかからない!
ところが大事な客とそれほどでもない客を部屋の中に座らせるとか、晩餐のテーブルに着かせるといった、はっきりした算段、明確な目的があれば、同じ椅子をああでもないこうでもないと何時間もかけて並べ替えるはめになるものだ」]
機械的にその動きをしようとするからすぐ終わって個性もなくなるのかなー、とふと
[「自分の想像力もかき立てられなくて、俳優なんて聞いて呆れる!
何十人か子供をここに連れてきて、さあ、これが君たちの新しいお家だよと言ってやったら、君らは子供たちの想像力に泡を食うことだろう。」]
確かに何もなくても、想像できるかって大事だよね
客がいれば<その気になれる>と生徒はここで主張するけど、それは稽古はどうなるの…(;´・ω・)
先生も
[「君たちが俳優なら、客なしでも演じられるはずだ。」]って
主人公の[暖炉を焚くことも、家具を配備することもできるが、小さな演技なので身が入らない。どれも短すぎる。
(中略)もし、ある行動から次の行動が生まれ、またそこから行動が導かれるなら話は別だ、と。]
なんだろ、こういうのを見ると
お芝居ってなんだろうなーって思っちゃう
それに対して先生が
[「君たちに必要なのは短く、表面的で、半ば機械的な行動ではなく、大きく、深く、複雑で、遥かな展開の開けた行動なんだね?」]って
それに主人公、大きすぎて無理なんて言うけど…うーん(;´・ω・)
[「もっと面白みのあるものを与えてほしいのです」]って言うのに対して
[「それは私でなく君たち次第でどうにでもなることだ。」]
と
つまり脚本や、演出におんぶにだっこじゃダメってことなのかなって
確かに指示されるものはあるだろうけど、
その作品をよりよくするためだったりとかに、俳優側から提示するのも必要なんじゃないかなー…と
[「どんな行動でも、それを面白くしたりつまらなくしたり、短くしたり長くできるのは君たち自身だ。
問題はうわべの目的ではなく、その行動がどんな状況のもとで、なんのためになされるか、その内的な要因ではないかね?」]
どんなことでも面白く出来る、って技術だけでなくそういうことだよね
単純なドアを開閉するという動作をここでは取り上げて説明される
今日マロレトコワの新居祝いが行われるその家は、激しい狂気に見舞われた、精神病院に収容された男が昔住んでいた。
だが、そこ男が病院から逃亡し、いまドアかげに立っているとしたら、君たちは一体どうする?
と、先生から提案が
こうすると
[私達はもはや演技をどうして長引かせるかなど眼中に無く、自分たちの演技がはたからどう見えるかも気にならなくなった。]
確かにこういうふうに提示されたらわかりやすいけど、でもこの「設定」を自分自身で出来ないと、演出さんのマリオネットになっちゃうよね
[もし狂人が部屋に躍りこんできた場合、どこに逃げればいいか、躍起になって考えた。自己防衛本能が事前に危険を察知し、その対処法を考えようとするのだった。]
エチュードだけど、お芝居ってつまりはそういうことで、本当に心が動くってそういうことなのかなって
ハリウッド映画とかはわかりやすい問題が提示されてそれを乗り越えようとする
基本的に大小はあるものの、ドラマってその積み重ねなんだよね、きっと
[こののっぴきならない状況から脱するためには私たちのもてる力の能力を総動員しなければならない。]
それを経て、先生は
[「今回君たちは、真に、つまり目的を持って、生産的に行動していた。何がそれを可能したのか?それは<もしも>というささやかな言葉だ」
だから「[舞台の行動は内にしっかりした根拠を持ち、論理的で、一貫し、かつ現実に可能なものでならなければならない、ということだ」]
この<もしも>は私の記憶が間違ってなければ『演技と演出のレッスン』でも取り上げられてるし、鴻上さんはここが最重要だとまでおっしゃっていた
結構「想像して」って言われたり「想像力が大事」って言われるけど、「具体的に何をどう想像するか」ってわかんないよね
だから「感情を想像」になりがちなんだと思うんだけど
間違って無いんだけど、
この本の帯が
[スタニスラフスキーは
見えない「抽象的思想や感情」を
身体によって可視化する=演じる方法を科学的に究明しようとした。
スタニスラフスキーの<システム>とは
演技というものの<科学>を究明しようとする
演劇史上初めての試みだったのである。]なんですよね