『俳優の仕事』第一部
第3章 
行動。<もしも>、<与えられた状況> 5

[<もしも>は創造の出発点だ。]

[『民衆演劇とポゴージンの《マルファ・ポサードニツァ》という覚書の中でプーシキンはこう語っている。<ありうべき状況における情念の真実、真実味のある感情-これこそが我が国の知性が劇作家に求めるものだ。>]
これは劇作家だけでなく俳優に求められるのも同じだと思うんですけどね

確かに作り物なんだけど、でも真実味は必要で
無いものを在るものにする、創造することなんじゃないかなーと

<与えられた状況> 
[それは戯曲の筋、戯曲の中の事実、出来事、時代、芝居の時と場所、当時の状況、戯曲に対する我々俳優や演出家の理解、我々が自ら付け加えるミザンセーヌや演出、舞台美術家による装置や衣装、小道具、照明、騒音や音など、俳優がその創造の際に考慮しなければならないことだ。]

[<与えられた状況>は<もしも>という言葉と同様に、前提であり、<想像の虚構>だ。]
この二つをしっかり想像して基盤にしてお芝居していきたいかな

お芝居をする上で、感情に強制を加えないこと、放任しろと先生はおっしゃるけどなるほどな、と

[先生が全能の<与えられた状況>や、
作者、
俳優、
演出家、
画家、
照明技師、
その他スタッフの<もしも>から、現実の生活に似た雰囲気が舞台に形成される]
と、先生が言うのに対して

ゴヴォルコフが
[「何もかもが他人の手によって作り出されるなら、俳優に何が残ります?カスだけですか?」]

先生はそれに
[「他人の虚構を信じ、真摯にそれを生きることを、君はカスだというのかね?

他人のテーマを借りたこうした創造が、ときには自前の虚構を作り出すよりずっと難しいことを君は知らないのかね?

詩人の出来の悪い戯曲がすぐれた俳優の再創造によっえ世界的な名声を博した例を、われわれは知っている。

シェイクスピアが他人の小説を改作したことも知っている。

われわれは、劇作家の作品を作りかえ、それまで言葉に隠れていたものを、そこに発見する。

われわれは他人のテクストに自分のサブテクストを忍び込ませ、当時の人々や当時の状況に対する自分なりの姿勢を打ち出す。

われわれは、作者や演出家から受け取った素材を自分のなかに通して自分のなかでそれを作り変える。

それに命を吹き込み、自分なりの創造を加味する。

われわれはそれに同化し、心理的にも肉体的にもその中に入り込む。

われわれは自分のなかに<情念の真実>を生み出す。

われわれは創造の総決算として、戯曲の秘められた意図と密接に結びついた、真に生
産的な行動を作り出す。

われわれは生きた、典型的な人物を、描かれる人物の情念と感情のなかに創造する。

この並々ならぬ仕事が<カス>だというのか!
いや、これこそ偉大な創造、真の芸術だ」]
ちょっと引用長くてアウトだったらまずいですが、私は本当にこれは大切だな、と思います。

これが、タイトルにもなっている「俳優の仕事」なんだな、って

「命を吹き込む仕事」と言われる俳優の仕事、それはそれっぽくやることではないぞ、と
本当に生み出す、創造する芸術なんだなーと思いました。

まあ私が勉強で気づけてなかっただけかもしれませんが_:(´ `」 ∠):_
精進していきます