『俳優の仕事』第一部
第4章 想像力1

[俳優が技術を使って目指すべきは、戯曲という虚構を現実的な舞台の事実に転化することだ]
ってあるんだけど、結構私やっちゃっててうーんってなる
「技術で表現する」方向になっちゃってて
「技術を使って表現する」ことが大事だよね、と

想像力と空想力が無いといけないとトルツォフ先生
[想像力は存在するものや、よくあるもの、我々が知っているものを作り出すが
空想力は存在しないものや、現実では知らないもの、これまでもなかったし、これからも無いであろうものを作り出す。]

私思うに自分は空想力が足りてないんだろうな

だから、私は
想像力はあるから二番煎じ的な表現が多いことを指摘されるのかなー、と

先生の、「自分だけの表現を探して」っていうのが空想力が足りてないのかも

天使とアクト!でも七宝院がアクトに「妄想が足りない!」って言ってるのも多分これも同じこと言ってるよね

[空想力には何でもわかるし何でもできる。]って

[想像力は作者や演出家やその他の人々が語り尽くさなかったことを最後まで語るというだけでなく、芝居を創造する全ての人々の仕事に生命を与える(中略)
この創造過程では、想像力が先陣を切り、俳優自身を導いていく]

技術のみに頼って、「想像」してない人もいるよね、と思う時がある
いわゆる「こういう言い方だよね」みたいな

[白状するが、俳優または演出家としてあまり夢中になれない役とか戯曲に取り組まなければならなくなると、私はよく嘘をつく。]
私もうまく持っていけない時は技術で固めて嘘にしてしまう時ある(;´・ω・)

そういう時
[戯曲を褒めちぎる。そのためにはその戯曲に無いものを考え出さなけれなならなくなる。その必要性から想像力が鼓舞される。ひとりきりならそんなことはやろうとしないだろうが、他人と一緒にいる時には、否応なしに自分の嘘をできるだけ正当化して相手の気を引くよう努めなければなくなる
でも、あとになって、自分が考え出した嘘を役や演出のための材料として利用したり、戯曲に加えたりすることがよくある。]

いわゆるこれは外的アプローチに近いのかも?

そして主人公の「想像力の欠けた者はどうしたらいいのですか?」に対し、

[「想像力を発達させるか、さもなければ舞台を去らなければならない。そうしなければ君たちは演出家に支配され、演出家が君たちに欠けている想像力を自分の想像力で埋め合わせるようになるだろう。
それは君たちにとって、自分自身の創造を放棄し、舞台上で将棋の駒になることにほかならない」]

そう、演出家のオーダーに応えられることももちろん大事なんだけど、芝居を教えてもらう=芝居をつけてもらう
だと思ってんのかわかんないけど、何も自分では考えない人はいるなぁ、とレッスン受けてて思ってしまう時はあります…

[俳優が指定されたことから外面的、形式的側面しか把握できないとなると、それは想像力が欠如しているということであり、想像力がなければ俳優とは言えない]

と、先生は言うけど、ほんとに声優におけるアフレコに関してもそうなんじゃないかなー、と
アフレコの授業受けてて思いました。