テアトロ・スタジョーネ春、「白夜」bianco:女主人役のぴろよです。

小学校に上がるか上がらないか~4年生くらいまで、
埼玉出身の私の「東京」は、池袋か上野御徒町でした。

ご存知、かどうか定かではありませんが、埼玉県民の最初の東京は「池袋」になりがちです。

じゃあ上野御徒町。
昔よく叔母と連れ立って御徒町に出向き何かを物色
・・・する叔母をよく見ていた気がします。
化粧品だったか、魚介類だったか。
とにかく、今現在の買い物好きが嘘のように苦痛で仕方ない時間でした。
特に人の買い物って退屈ですもんね。私は今でやっと「自分のは大好き、人のは嫌いじゃない」程度ですし。

もちろん叔母と外出するのが好きというか休日の定番というか、だったので
苦痛を訴えることすら考えなかったということもありますが、
上野・御徒町で買い物となるとちょっとした楽しみがあったんです。

買い物後のうさぎやでのどら焼きのお土産を包んでもらうこと?

それもそうなんですが子供のあたしにうさぎやの本当の価値はわからず。
(※うさぎやの美味しさに気づいたのは結構大人になってからですねー)

上野ー御徒町間で「ソーセージ」を出す珈琲屋さんがあったからなんですね。
ホットドックやサンドイッチを出す珈琲屋は今も昔もたくさんあります。

ただ、あの当時では珍しい生のしかもちょうどいい大きさのボイルされた高級そうな
ソーセージを供し、それを珈琲でいただく・・・・なんて珈琲屋。
あたしはあの店でしか経験したことがありません。

店内はいつも他に1-2組しかお客さんがいらっしゃらず、
とてもいい雰囲気だったような気も、
(その話が出た時に思い出したのですが)ドトールのようなチェーン店がメニューだけ特別だった気も・・・。


大好きなお店にも関わらず記憶はあいまいです。
そこで珈琲好きの叔母は当然珈琲を、私はソフトドリンクを飲みながら
ちょっと子供には贅沢なソーセージと、少し背伸びの味がするザワークラフトをほうばって
買い物の疲れを癒したものです。


ただ、叔母も私も鮮烈に覚えているのは
ある日突然その店のシャッターに「閉店しました」の張り紙があったこと。
ためしに今回の記事の題名につけたようなキーワードで
郷愁まじりに調べてみたんですが見つかりませんね。


あるのかなー、そんな店。
バーじゃないのよ、珈琲屋よ。

湖塔音って昭和だなーって話を聞いたり文章を呼んだりしてましたが、
うさぎや、こぅひぃ、ソーセージ・・・ここには書きませんでしたが池袋の東武の上の食堂街・・・
彼女には適いませんが、私もなかなかに昭和を堪能している子供だったようです。