基本稽古で、「このをとめ」(byポールフォール)の朗読をやった。
私は、前日の『かもめ』Bキャストの全幕通し稽古がうまくできなかったため、少々気落ちしていた。
「このをとめ」は、私には初めての課題だったので、先輩に解説をしてもらい、本番に臨んだ。
とりあえず、言われたことを守り、その通りにやることばかりを気にして詩を読んだ。
読み終えたところで、主宰の小西先生から「詩の世界に入っていない」 というダメ出しをいただいた。
物語とコミットする姿勢として、主観、客観、俯瞰があるのだが、私の態度は俯瞰に相当するらしい。役者はまず主観でなければ、物語の中にどっぷりつかり、登場人物の感情を体験することはできない。
最大限やってみて、初めて自分の下手さがわかり、そこから上手くなるためにどうすればいいか、という試行錯誤が始まる。
ところが。それをできずに、ただ指示されたことを頭で理解して身体を動かすだけでは、それは「上手がっているだけ」に過ぎない。
お客さんから見ればまったくおもしろくない。
失敗しないように、言われたことだけを言われた通りにすることは、芝居の上では「なにもしない」のと同じなのだ。
言い換えれば「何かをするから失敗する」のである。
もちろんプロの役者として、表現者として自分がお客さんからどう見えるか、物語としてどうか意識する客観性も必要だ。しかし、私はまだその段階ではない。とにかくどっぷり物語の世界につかるしかないのだ。それは頭でなく心で感情でしか入っていけない場所なのだ。
そしてそれができれば、きっと楽しいはずだ。
「感情生活」…アクトに行き始めてから小西先生にことあるごとに言われてきたテーマ。
多分、私はそれさえ頭で理解して、うーんどうすればいいんだろう、と頭で悩んできた。
他のメンバーが順番を待っているにも関わらず、言葉を尽くしてくれる先生の説明が、かすかな入口を見せてくれたようだ。急いで追いすがらないと徐々に消えてしまうような。
「もう一回やってみますか?」といわれたので、もちろん再挑戦した。
~このおとめ みまかりぬ みなかりぬ 戀病みに…
感情を体験するということが、自分にはわからない。
とにかく、とにかく、この詩を詠むにふさわしい自分になろうとした。
血管がブチ切れるのではないかと思うほど、感情を絞りだそうとした。
そう…絞り出した (←なだぎ風)。
品のない表現だが、硬くて大きくて、なかなか出てこない大便をふんばるように。
詠み終えた時、なんと言おうか…本を読んで感動した時とは違った悲しい感情…外から入ってきたのではなく、自分のうちから湧き出てくる悲しみの感情がかすかに感じられた。
入口が消える直前に、手をかけることができたような気がする。
私は、前日の『かもめ』Bキャストの全幕通し稽古がうまくできなかったため、少々気落ちしていた。
「このをとめ」は、私には初めての課題だったので、先輩に解説をしてもらい、本番に臨んだ。
とりあえず、言われたことを守り、その通りにやることばかりを気にして詩を読んだ。
読み終えたところで、主宰の小西先生から「詩の世界に入っていない」 というダメ出しをいただいた。
物語とコミットする姿勢として、主観、客観、俯瞰があるのだが、私の態度は俯瞰に相当するらしい。役者はまず主観でなければ、物語の中にどっぷりつかり、登場人物の感情を体験することはできない。
最大限やってみて、初めて自分の下手さがわかり、そこから上手くなるためにどうすればいいか、という試行錯誤が始まる。
ところが。それをできずに、ただ指示されたことを頭で理解して身体を動かすだけでは、それは「上手がっているだけ」に過ぎない。
お客さんから見ればまったくおもしろくない。
失敗しないように、言われたことだけを言われた通りにすることは、芝居の上では「なにもしない」のと同じなのだ。
言い換えれば「何かをするから失敗する」のである。
もちろんプロの役者として、表現者として自分がお客さんからどう見えるか、物語としてどうか意識する客観性も必要だ。しかし、私はまだその段階ではない。とにかくどっぷり物語の世界につかるしかないのだ。それは頭でなく心で感情でしか入っていけない場所なのだ。
そしてそれができれば、きっと楽しいはずだ。
「感情生活」…アクトに行き始めてから小西先生にことあるごとに言われてきたテーマ。
多分、私はそれさえ頭で理解して、うーんどうすればいいんだろう、と頭で悩んできた。
他のメンバーが順番を待っているにも関わらず、言葉を尽くしてくれる先生の説明が、かすかな入口を見せてくれたようだ。急いで追いすがらないと徐々に消えてしまうような。
「もう一回やってみますか?」といわれたので、もちろん再挑戦した。
~このおとめ みまかりぬ みなかりぬ 戀病みに…
感情を体験するということが、自分にはわからない。
とにかく、とにかく、この詩を詠むにふさわしい自分になろうとした。
血管がブチ切れるのではないかと思うほど、感情を絞りだそうとした。
そう…絞り出した (←なだぎ風)。
品のない表現だが、硬くて大きくて、なかなか出てこない大便をふんばるように。
詠み終えた時、なんと言おうか…本を読んで感動した時とは違った悲しい感情…外から入ってきたのではなく、自分のうちから湧き出てくる悲しみの感情がかすかに感じられた。
入口が消える直前に、手をかけることができたような気がする。