ミカです。

先日、Aキャストの稽古に伺わせていただきました。

どうにも役のことが分からない時に、おすがりできる先輩方の存在はありがたいものです。

同じくマーシャを演じる愛子さんの演技ばかりでばく、舞台全体を見るよう心がけはしましたが、、

実際マーシャのことばかり中心に見ちゃう。考えちゃう。

役を頂いた時から、まぁ、これはある程度しょうがないものですよね、と言い訳。

愛子さんの3幕マーシャの印象は一言で言えば、「カッコイイ」

完全に恋を振り切ったわけでもなし、最後まで酔っ払い続けて痛々しい愛子さんのマーシャのカッコ良さとは。

トレープレフへの愛というたった一つの太い軸を中心に世界が回っていること。

マーシャを演じる人間が、最低、いえ、唯一表現しなければならないことです。

愛子さんのマーシャでは、それが非常にさっぱりとした形(だから余計カッコ良かったのかな)で、確かに表現されていたように思います。

マキさんに頂いたアドヴァイスの「孤高」というワードにも通じるようなマーシャでした。本当に拝見できて良かった。


さて、それとは別に、杉村春子さんもマーシャを演じたことがあると、つい先日知りました。

ビックリ。

100%アルカージナのイメージだったので。いえ、勿論アルカージナもおやりになっているハズですが。

私は、小津安二郎の映画って原節子さんと笠智衆さんと、杉村春子さん以外覚えてられないんです。

雰囲気だけ身体に残って人の具体性は消えちゃう。それも小津映画のいいところだと思いますけれど。

神々しい原節子の美貌に匹敵する、アクの強さ。

私が男なら確実に関わりたくないタイプの女性ですが、なんといっても、あの生命力!

感嘆するお上手さに加えて、あの、下品とさえ思う 生・命・力!

「長い長いすそのように人生を引き摺って生きているみたいな。生きていたいと思う気持ちがなくなることだって良くありますわ。」

なんて、死んでも殺されても言いそうにない。

どういう風に演じたんだろう。

絶対に陰気な女はやらなかったでしょう。正しいか(そもそも正しさなんて、誰も知らない)どうかともかく、絶対、観客は退屈しなかったでしょうね。見飽きなかったでしょう。


さらにまた(笑)、名前も知らない女の子のブログに『「喪服なの。人生の。私は不幸な女だから。」

1度でいいから言ってみたい!!』と書いてあって。


チェーホフが書いて、古今東西の色々な女優に演じられてきた「マーシャ」
100年以上後に、日本人の、フツウの女の子が憧れてる「マーシャ」


出来ることなら杉村春子さんのマーシャも見て、その女の子とも言葉を交わしてみたい。

沢山のひとの想いを受けて、マーシャという役はその時・その場所に存在して受け継がれているわけですね。

古典は、こういうところが本当にすてき。

だから、私も、今を生きている「私」がどういう風にマーシャの想いを身体に感じるか、ってことだけを気にすればいいんだな、と。

そうして受け継がれて、1人でも会場に「喪服なの。人生の。」ってつい呟きたくなる子がいてくれたら、素晴らしいことですね。

少し長くなってしまいましたが(笑)少しスッキリ。

よし、稽古に励むぞ!