ドアをノックするどんどんという大きな音で僕は目を覚ました。
「おにーちゃーん。優子さん来てるよ。お兄ちゃんってば」
僕はまだ眠りの中にある体を無理やりに起こしてベッドのわきにあるサイドテーブルの上の携帯電話を手に取った。午前八時三十分。優子はいつだって早起きだ。どんな時も朝早く起きて僕に電話をかけ朝食を食べたがった。変わった女の子だ。僕はベッドから抜け出るとドアをほんの少しだけあけて美佐江に「すぐ行く」とだけ伝えてドアを閉めた。妹は不服そうにしたがそれ以上なにを言っても自分の兄が行動に移らないことは長年の経験から知っているので黙って階段を下りた。
「優子さーん、お兄ちゃんすぐ来るって。でも三十分はかかるわよ。ホンっとにルーズなんだから」
その声と同時くらいに優子の笑い声がした。僕はそれを聞き流しながら着替え顔を洗うために洗面所に向かった。優子たちはどうやら店へ行ったようだった。妹は親父からの遺伝なのかコーヒーを淹れるのが上手だった。時々、高橋さんにコーヒーの味について熱く語ったりしていたのを見ても妹にはコーヒーに対する並々ならぬ思いがあったのは事実のようだった。大方、優子にコーヒーを飲ませてやるつもりなのだろう。楽しそうに二人が移動していくのが2階からでも分った。
僕は顔を洗って歯を磨くと髪を整えて店に降りた。店の中には香ばしいコーヒーの香りが漂っていた。それは朝の光の中でごく自然に発生するもののように店に充満し景色を生き生きと映えさせていた。
「おはよう、妹さんにコーヒーご馳走になってるの」
優子は嬉しそうに僕に言った。
「おはよう、悪かったな。遅くなって。こんなに早く来るとは思ってなくて」
「いいのよ、私が早く会いたかったの。コーヒーも飲ませて欲しかったし」
妹は僕の分のコーヒーをカップに注いでカウンターの上に置いた。
「それでは邪魔者は消えるとしますか」
そういうとカウンターの奥に向かった。
「あ、美佐江ちゃん。よかったら一緒に居て。ね?一緒にいただきましょうよ、コーヒー」
美佐江は急にうれしそうに振り返った。
「え?いいの?優しいなぁ、優子さんは。どこかの誰かさんとは大違いだわ」
そういうと決まっていたかのようにカウンターの中から出てきて優子の右隣に座った。
「そら、駄目な兄貴のために優しい妹は優子さんの左をあけといてやったぞ」
僕はやれやれと思う気持ちを胸の奥にしまって優子の左隣に座った。妹が寂しがるのを優子は気づかい、その気持ちを美佐江も感じ取ったのだ。この二人がしまいだといっても通じるような仲の良さを二人は持ち合わせていた。
僕は久しぶりに妹の淹れたコーヒーに口をつけた。それは親父のとは少し違うけれどもコーヒーという飲み物の本質に迫るような優しさと苦さをきちんと表現した味わいだった。僕も何度か挑戦したがどんなに回数を重ねても妹が淹れるような味には一度もならなかった。きっとそこには『才能』という言葉で区切られたサンクチュアリがあってその入り口には厳しい表情の厳めしい髭を生やした番人が通行しようとするものをきちんと選び、選ばれた者だけがそこを通れるのだ。
「腹が減ったな」
僕がそういうと優子はカウンターのスツールをするりと降りた。
「任せて。私が作ってあげる」
妹のやったー!という声が店の中に響き渡った。僕らの暮らしにはまだほんの少しだけ平和と幸福があるのだ。それは、それを維持しようとする者たちの努力の結晶かもしれなかったが、そうだとしても、努力するだけの余地が、まだこの時にはあったのだ。
「おにーちゃーん。優子さん来てるよ。お兄ちゃんってば」
僕はまだ眠りの中にある体を無理やりに起こしてベッドのわきにあるサイドテーブルの上の携帯電話を手に取った。午前八時三十分。優子はいつだって早起きだ。どんな時も朝早く起きて僕に電話をかけ朝食を食べたがった。変わった女の子だ。僕はベッドから抜け出るとドアをほんの少しだけあけて美佐江に「すぐ行く」とだけ伝えてドアを閉めた。妹は不服そうにしたがそれ以上なにを言っても自分の兄が行動に移らないことは長年の経験から知っているので黙って階段を下りた。
「優子さーん、お兄ちゃんすぐ来るって。でも三十分はかかるわよ。ホンっとにルーズなんだから」
その声と同時くらいに優子の笑い声がした。僕はそれを聞き流しながら着替え顔を洗うために洗面所に向かった。優子たちはどうやら店へ行ったようだった。妹は親父からの遺伝なのかコーヒーを淹れるのが上手だった。時々、高橋さんにコーヒーの味について熱く語ったりしていたのを見ても妹にはコーヒーに対する並々ならぬ思いがあったのは事実のようだった。大方、優子にコーヒーを飲ませてやるつもりなのだろう。楽しそうに二人が移動していくのが2階からでも分った。
僕は顔を洗って歯を磨くと髪を整えて店に降りた。店の中には香ばしいコーヒーの香りが漂っていた。それは朝の光の中でごく自然に発生するもののように店に充満し景色を生き生きと映えさせていた。
「おはよう、妹さんにコーヒーご馳走になってるの」
優子は嬉しそうに僕に言った。
「おはよう、悪かったな。遅くなって。こんなに早く来るとは思ってなくて」
「いいのよ、私が早く会いたかったの。コーヒーも飲ませて欲しかったし」
妹は僕の分のコーヒーをカップに注いでカウンターの上に置いた。
「それでは邪魔者は消えるとしますか」
そういうとカウンターの奥に向かった。
「あ、美佐江ちゃん。よかったら一緒に居て。ね?一緒にいただきましょうよ、コーヒー」
美佐江は急にうれしそうに振り返った。
「え?いいの?優しいなぁ、優子さんは。どこかの誰かさんとは大違いだわ」
そういうと決まっていたかのようにカウンターの中から出てきて優子の右隣に座った。
「そら、駄目な兄貴のために優しい妹は優子さんの左をあけといてやったぞ」
僕はやれやれと思う気持ちを胸の奥にしまって優子の左隣に座った。妹が寂しがるのを優子は気づかい、その気持ちを美佐江も感じ取ったのだ。この二人がしまいだといっても通じるような仲の良さを二人は持ち合わせていた。
僕は久しぶりに妹の淹れたコーヒーに口をつけた。それは親父のとは少し違うけれどもコーヒーという飲み物の本質に迫るような優しさと苦さをきちんと表現した味わいだった。僕も何度か挑戦したがどんなに回数を重ねても妹が淹れるような味には一度もならなかった。きっとそこには『才能』という言葉で区切られたサンクチュアリがあってその入り口には厳しい表情の厳めしい髭を生やした番人が通行しようとするものをきちんと選び、選ばれた者だけがそこを通れるのだ。
「腹が減ったな」
僕がそういうと優子はカウンターのスツールをするりと降りた。
「任せて。私が作ってあげる」
妹のやったー!という声が店の中に響き渡った。僕らの暮らしにはまだほんの少しだけ平和と幸福があるのだ。それは、それを維持しようとする者たちの努力の結晶かもしれなかったが、そうだとしても、努力するだけの余地が、まだこの時にはあったのだ。