◇
季節はどうやら初夏のようで、僕は手に持った荷物とその陽気のためにすっかり汗をかいていた。見たことのある駅を降りて、見たことのある喫茶店を横目にして、僕は坂道に差し掛かった。
その急勾配の坂道を上りきると、左手に小さな枝垂れ桜が植えられている。そこだけが石垣に囲まれて、少し神聖な場所のように見える。木は坂道の方へと枝を垂れ、ひっそりと、また春が来るのを待ち焦がれているみたいに僕には思える。
この景色を見た事がある。なぜまたこの景色を見なくてはいけないのだろう?
僕の胸に不安にも似た何かがよぎったその瞬間、枝垂桜の向こうに誰かが座っているのが見えた。
逆光の強い日差しのために、それが誰かはもう一つはっきりとはわからない。でも、僕が近づくのが分るとその人は不意に立ち上がりこっちに向かって手を振る。
「遅かったじゃない。ずいぶん待ったんだから!」
「ごめんごめん。この坂道があんまり急でさ。」
と、当たり前のように答える夢の中の僕。近づくにつれ逆光が緩まり彼女の顔がはっきりと見える。
緩くカールした美しい栗色の髪。ほんの少し青みを帯びた瞳。
そう、そうだ。
僕らは、完全には思い出とさよならする事は出来ない。だからこそ新しい物語を必要としているのだ。
僕は彼女の手をとり、再び歩き出した。その新しい物語へと向かって。
「何考えてるの?リョウヘイ。」
「え?君の事が、愛しいなって。」
彼女は、フフフと笑っていった。
「君じゃなくて、マルティナ!」
◇
完
季節はどうやら初夏のようで、僕は手に持った荷物とその陽気のためにすっかり汗をかいていた。見たことのある駅を降りて、見たことのある喫茶店を横目にして、僕は坂道に差し掛かった。
その急勾配の坂道を上りきると、左手に小さな枝垂れ桜が植えられている。そこだけが石垣に囲まれて、少し神聖な場所のように見える。木は坂道の方へと枝を垂れ、ひっそりと、また春が来るのを待ち焦がれているみたいに僕には思える。
この景色を見た事がある。なぜまたこの景色を見なくてはいけないのだろう?
僕の胸に不安にも似た何かがよぎったその瞬間、枝垂桜の向こうに誰かが座っているのが見えた。
逆光の強い日差しのために、それが誰かはもう一つはっきりとはわからない。でも、僕が近づくのが分るとその人は不意に立ち上がりこっちに向かって手を振る。
「遅かったじゃない。ずいぶん待ったんだから!」
「ごめんごめん。この坂道があんまり急でさ。」
と、当たり前のように答える夢の中の僕。近づくにつれ逆光が緩まり彼女の顔がはっきりと見える。
緩くカールした美しい栗色の髪。ほんの少し青みを帯びた瞳。
そう、そうだ。
僕らは、完全には思い出とさよならする事は出来ない。だからこそ新しい物語を必要としているのだ。
僕は彼女の手をとり、再び歩き出した。その新しい物語へと向かって。
「何考えてるの?リョウヘイ。」
「え?君の事が、愛しいなって。」
彼女は、フフフと笑っていった。
「君じゃなくて、マルティナ!」
◇
完