リョウヘイはどんな仕事をしてるの?」
「今はね・・・、そうだな。何て言えばいいかな。フリーで雑誌なんかの記事を書く仕事をしてるんだ」
「フウン。楽しい?」
「楽しいよ。結構。場合によっては外国に取材に行くことだってあるし、もともと何か書くのは好きだったんだ」
彼女はグラスに入っているシャンパンを一息に飲み干して僕の方をじっと見た。
「素敵ね。好きな事が仕事だなんて」
「そうだね。でもはじめから好きだったわけじゃないんだ。いろんな事情があって、結局好きになった。もしかしたら、いろんな事があったお陰で好きだって事に気付いたのかもしれない」
マスターはカウンターの奥からそっとやってきて、からになった彼女のシャンパングラスに美しい琥珀色の液体を注いだ。彼女はすぐに注がれたシャンパンを半分ほどぐっと飲んだ。
「ねぇ、聞いていい?いろんな事って、例えばどんなこと?」
 僕はゆっくりとグラスを置いた。すきっ腹だったせいか、既に酔いが回り始めているみたいだった。僕はふと、グラスを置いた自分の指に目をやり、しばらくの間見つめていた。その様子から彼女は何かを察したようだった。
「あっ。いいのよ、別に。話しづらいことなら無理に話さなくても。そういうつもりじゃなかったんだけど・・・」
「いや。かまわないよ。みんな過ぎていったことだし。ただ、今まであんまり人に話さなかったことだから。自分でもどこから話せば言いか今ひとつ分からないんだ。」
僕はグラスの中の液体を一気に喉の奥へと流し込んだ。彼女にはそれは何かの決意に見えたかもしれない。マスターがやってきて僕のグラスを満たしていった。
「そうね。そういうことってあるわよね。でもそんな時は、一番ショッキングな事実から話せばいいのよ。そうすれば、きっと後のことは感情がどこかへと運んでくれるわ。それにどんなにショッキングな事実だとしても、ワタシ、あなたをここにおいて帰ったりしないわ。」
「それはよかった。一番ショッキングな事実か。そうだな。24歳になる秋のことだった。付き合ってた彼女が死んだ。病気だった。とても美しい子で、彼女を失った後、僕はしばらく社会に戻ることが出来なかった。でも、貯金だって底を尽きはじめていたし、いつまでも思い出と暮らしていくわけには行かなかった。そこで、前に就職していた出版社に電話して、何でもいいから記事を書く仕事をさせて欲しいとお願いしたんだ。すぐに地方の情報誌や、小さな雑誌から依頼が来た。僕はそれを来る日も来る日も真剣に手を抜かずに取り組んだ。やがて、取材で出かけた新潟の酒蔵で素敵な女性にめぐり合った。恋をしたのは4年振りだった。僕らはすぐに結婚した。でも子供は出来なかった。その奥さんとも、去年の年末に離婚した。安定しない生活と、僕の開かない心が原因だと彼女は言ってた。どう?これが僕の話。」
彼女はシャンパンの気泡を見つめているみたいだった。そしてゆっくりと頭を右に傾けながら僕のほうを見た。
「イロンナコトがあったのね。でも大丈夫よ。あなたは今もここに存在して、ワタシとお酒を飲んでるの。心だって、目だってちゃんと開いているし、ワタシに嫌な思いだってさせてないわ。」
僕は以外にもほっとした。この何年かで一番ほっとしたんじゃないだろうか。この事を誰かに話したこと自体はじめてだってし、言葉にして認識したのも初めてだった。喉がからからに渇いていて、目の前のシャンパンをまた一気に喉の奥へと流し込んだ。エグリ・ウーリエはその完璧な肉体美とも言えるようなコシのある造りと、華やかな香り、繊細な中に剛質なイデオロギーを内包するその研ぎ澄まされた味わいを僕の鼻腔へと叩きつけた。「完全に限りなく近い端整美」もしも記事にしなくてはならないなら、そう書いたに違いない。