その夜僕たちは、料亭での食事の後、木屋町の飲み屋を2軒はしごしてホテルに戻った。料亭での食事のときもお酒を飲むには飲んだのだが、馴れない雰囲気にうまく酔うことが出来ず、結局料亭を出た後で若者が集うような店でたっぷりと飲んだ。千佳子は始終ご機嫌で僕らの大学時代の話をしていた。2軒目の飲み屋を出たのは深夜の3時を回った頃だった。タクシーを拾おうと河原町通りに出ては見たがなかなかつかまらなかった。
「ねぇ、ホテルまで歩くとどれくらいかしら?」
「うーん。素面なら30分ってとこだけど、結構酔ってるからもう少しかかるかな」
「歩きましょうよ。私、平気よ。気持ちのいい夜だし、もう少しこうして歩いていたいから。」
「いいよ。じゃあ歩こう。」
僕たちは、こうして真夜中の京都を散歩した。ホテルに着くまでの間、僕たちは二人でずっと山崎まさよしの「HOME」を歌っていた。
明日には東京へ帰らなくてはならなかった。始まったばかりの夏の匂いが、あたり一面にしていた。京都に来て、本当に良かったなと思った。
でも結局、これが僕と千佳子の最後の夏になった。
翌日、僕らは昼過ぎの新幹線で東京に戻ってきた。京都駅の土産物屋でお土産を見たが結局は何も買わなかった。
新幹線の中でも千佳子はずっとご機嫌で、旅行中の事を話し続けていた。どうしてお土産を買わなかったか、彼女は何も言わなかったが僕にはわかる気がした。彼女は心の中に、大切な何かを刻んだのだ。
「ねぇ。」
「ん?」
「どうして、私が京都を選んだかわかった?」
「わかったよ。」
「ほんと?」
「ああ。大人になると、人は皆、幼い頃大切にしていた想いや、何かを発見する喜びを少しずつなくしてしまう。でも京都という街はそんな疲れてしまった大人たちにたくさんの大切だった想いを、思い出させてくれる。だからじゃない?」
「すごい!」
「って、ガイドブックに書いてあった。」
「もう!冗談で聞いてるんじゃないんだから!」
「わかってるよ。でも、本当にそんな風に感じるなんて僕自身も思いもよらなかった。すごく素直にいろんな事を感じられた。君を抱きたいと思ったことも。夕焼けの中で聞いたあの歌の事も。正直自分でも驚いてるんだよ。」
「そうね。私もそう思うわ。」
「ずっと昔に手に入れて、今では生活の中に埋もれてしまった大切な宝石に出会える街。」
「なんかCMみたい。」
「コピーライターになろうかな?」
僕らは二人で笑った。僕は千佳子に、愛してるよ、と言いたかった。でも言わなかった。僕らはきちんと、自分の中の大切なものを確認した。その事で十分幸せだった
言葉には出来ない「何か」。それに巡り逢うために京都に行ったのだ。
東京に戻ってからの日々は実に緩やかで、平凡な毎日だった。決まった時間に起床し、散歩し、食事を摂り、時々ワインを飲んだ。冷蔵庫の中のブランド・モルジェには手をつけずに、その日その日の気分で買って、夕食のときに飲んだ。
千佳子の頭痛は、以前よりも短い間隔でやってくるようになっていた。痛みの程度がどのくらいなのか僕には量りかねたが、眩暈や吐き気を伴うこともしばしばだった。
週の初めには必ず早川医師を訪れ、話しをいろいろとした。先生は旅行に行った事を喜び、千佳子と長い時間話し込んだ。先生はいつでも明るく千佳子に接していた。
千佳子に死が近付いているという実感が僕にはうまく持てなかった。こんな風にして千佳子はこの先も生きていくんじゃないかという気がしてならなかった
「ねぇ、ホテルまで歩くとどれくらいかしら?」
「うーん。素面なら30分ってとこだけど、結構酔ってるからもう少しかかるかな」
「歩きましょうよ。私、平気よ。気持ちのいい夜だし、もう少しこうして歩いていたいから。」
「いいよ。じゃあ歩こう。」
僕たちは、こうして真夜中の京都を散歩した。ホテルに着くまでの間、僕たちは二人でずっと山崎まさよしの「HOME」を歌っていた。
明日には東京へ帰らなくてはならなかった。始まったばかりの夏の匂いが、あたり一面にしていた。京都に来て、本当に良かったなと思った。
でも結局、これが僕と千佳子の最後の夏になった。
翌日、僕らは昼過ぎの新幹線で東京に戻ってきた。京都駅の土産物屋でお土産を見たが結局は何も買わなかった。
新幹線の中でも千佳子はずっとご機嫌で、旅行中の事を話し続けていた。どうしてお土産を買わなかったか、彼女は何も言わなかったが僕にはわかる気がした。彼女は心の中に、大切な何かを刻んだのだ。
「ねぇ。」
「ん?」
「どうして、私が京都を選んだかわかった?」
「わかったよ。」
「ほんと?」
「ああ。大人になると、人は皆、幼い頃大切にしていた想いや、何かを発見する喜びを少しずつなくしてしまう。でも京都という街はそんな疲れてしまった大人たちにたくさんの大切だった想いを、思い出させてくれる。だからじゃない?」
「すごい!」
「って、ガイドブックに書いてあった。」
「もう!冗談で聞いてるんじゃないんだから!」
「わかってるよ。でも、本当にそんな風に感じるなんて僕自身も思いもよらなかった。すごく素直にいろんな事を感じられた。君を抱きたいと思ったことも。夕焼けの中で聞いたあの歌の事も。正直自分でも驚いてるんだよ。」
「そうね。私もそう思うわ。」
「ずっと昔に手に入れて、今では生活の中に埋もれてしまった大切な宝石に出会える街。」
「なんかCMみたい。」
「コピーライターになろうかな?」
僕らは二人で笑った。僕は千佳子に、愛してるよ、と言いたかった。でも言わなかった。僕らはきちんと、自分の中の大切なものを確認した。その事で十分幸せだった
言葉には出来ない「何か」。それに巡り逢うために京都に行ったのだ。
東京に戻ってからの日々は実に緩やかで、平凡な毎日だった。決まった時間に起床し、散歩し、食事を摂り、時々ワインを飲んだ。冷蔵庫の中のブランド・モルジェには手をつけずに、その日その日の気分で買って、夕食のときに飲んだ。
千佳子の頭痛は、以前よりも短い間隔でやってくるようになっていた。痛みの程度がどのくらいなのか僕には量りかねたが、眩暈や吐き気を伴うこともしばしばだった。
週の初めには必ず早川医師を訪れ、話しをいろいろとした。先生は旅行に行った事を喜び、千佳子と長い時間話し込んだ。先生はいつでも明るく千佳子に接していた。
千佳子に死が近付いているという実感が僕にはうまく持てなかった。こんな風にして千佳子はこの先も生きていくんじゃないかという気がしてならなかった