第21話
僕らはその夜、何度も互いを求め合い、そのたびに絶頂を向かえ、やがて疲れ果て泥のように眠った。
裕美は何度も僕の名を呼び、僕は何度も彼女の名を呼んだ。僕はその中でいくつものフラッシュバックを見た。僕は僕自身が誰なのかを確信を持った。思い出さなくてはいけないほとんどを思い出した。
翌日の昼過ぎに目を覚ますと、僕はキッチンの戸棚を空けた。戸棚の一番上の段にイタリアの国旗が描かれた大きなマグカップがあり、その中に小さな鍵が入っていた。鍵には新宿駅西口、と書いてあった。ここにCD-ROMと写真はある。僕には確信があった。
僕は烏山の駅前のエクセルシオールに呼び出され、これをキクチから預かった。彼は、自分に万が一のことがあったらこれをスキャンダル誌に送るよう頼んでいた。確か、写真にはコニシが麻薬を輸入するために使った『クリマ』の二重底が写っていた。ROMにはそれに関わる膨大なデータと、売り上げ、取引先などが克明に記されていた。キクチはこのネタでコニシを脅し、元の世界に戻そうとして失敗し、逆に命を落とした。そのネタは今、僕の手元にある。そしてコニシは僕がその記憶を取り戻し、写真とCD-ROMにたどり着くのを待って僕を消そうとしている。僕は記憶の戻らない間だけ、コニシに生かされている。そして、それを裕美は監視している。裕美自身のコニシへの復讐のために。僕は二人の人間に利用され生かされているのだ。
「ねぇ、何してるの?マサカズ。」奥から裕美の声がする。気だるそうな声。情事から覚め、夢から覚めた女の声。「コーヒーでも飲もうかと思ってさ。飲まない?」裕美は、要らない、といってまたベッドに潜り込んだようだった。僕は引き出しからインスタントの豆を取り出し、湯を沸かしてコーヒーを飲んだ。豆が少なかったせいか酷く薄く感じた。無性にタバコが吸いたかったが、部屋のどこを探してもタバコは見つからなかった。
コーヒーを飲み終えると、僕はカーテンを開けた。携帯電話はいくつかの着信を示していた。時間は14時を回ったところだった。外は酷い雨降りだった。このまま部屋で彼女とゆっくり過ごすにはちょうどよさそうだったが、そんなわけにはいかなかった。
あの男たちがやってきたのだ。
ドアがけたたましい音でノックされ「いるんだろ!開けろ!」と叫んでいる。裕美はベッドを飛び出て着替える。僕はゆっくりとした足取りで玄関へ向かいドアを開ける。「あんまり騒がれると、ここに住めなくなるんですが。」僕がそう言うと、男は開いたドアの隙間に足を入れる。裕美の靴に気が付く。「女か?いい身分だな。」「あなたには関係ない。」「おめぇ、自分の立場が分かってないようだな?え?」「いいですか、何か思い出さない限り、あなたには僕をどうすることも出来ない。だから、思い出すまでは僕の自由にさせてもらう。帰ってください。」その男の奥で、じゃ、帰ろう、と声がする。いつもの落ち着いたほうの男。「明日もまたきますよ。」そういって立ち去っていく。
僕はドアに鍵をかけ、部屋の中へと戻る。裕美のおびえた顔。「大丈夫なの?」僕は彼女の横に無言で腰を下ろす。コニシをどうにかしないといけない。それを考えて行動する必要がある。僕の記憶を、僕が利用するんだ。たとえそれが危険な賭けであったとしても。