第13話
裕美がタクシーに乗り込んだあと、しばらく僕はそこにたって神田川が流れていくのを見ていた。
考えなくてはいけないことが山のようにある気がしたが、どこにもヒントがなかった。いや、ヒント自体はないわけじゃなかった。写真、CD-ロム、僕を見たときに驚いたユカの顔。マサカズからの電話に出たコニシの態度、2003年。
そのどれもが、どこかで一直線になるはずなのだ。
それには僕が記憶を取り戻すしかない。記憶を取り戻すチャンスもあった。2003年というキーワード。あの時だけは、頭痛がひどくなった。失った『何か』を思い出せそうな予感があった。幾つかの景色が見えた。でも、その全てがあまりに曖昧で確信のないものばかりだった。そこで僕はひとまず、中野坂上のマサカズのマンションに帰る事にした。今のところあそこにしかヒントがないのだ。そう思い立つと、僕は今来た道を引き返し、明治通りから雑司が谷方面を右に入り、池袋を目指した。池袋までの道のりは遠くもなく近くもなかった。夕方の池袋は当然のように多くの人でごった返していた。東口側から駅の構内に入り、丸の内線に乗った。山手線で新宿まで行く方が早く着くには違いなかったが乗り換え自体が面倒だし、疲れもあって少し眠りたかった。何も急ぐ必要はないのだ。
18時06分発の中野坂上まで行く丸の内線に乗り、僕はすぐに眠った。携帯電話を見ようとしたが充電が落ちていた。丸の内線の車内は帰宅する人のラッシュでいっぱいだったが、始発駅だったのと一本やり過ごした事が幸いして座る事ができた。
眠っている間に、僕は夢を見た。
◇
夢の中で、裕美はマサカズの名を呼んでいた。何度も何度も呼んでいた。
最初、冷静だった呼び声は途中から悲壮なものに変わり、最後には叫びになった。
でも、裕美はマサカズを呼んでいながら一心に僕の目を見ていた。僕は言いたかった。「僕はマサカズじゃないだろ?」その言葉は声にならなかった。いや、言葉にさえならなかった。
裕美は気が付くと僕にくちづけをしていた。温かで柔らかな舌が僕の口の中で蠢いていた。彼女は僕の腰骨に触れ、下腹部をまさぐり、ズボンのベルトを外した。「僕はマサカズじゃないだろ?」僕はそう言おうとした。言おうとするたびに彼女の舌は今までよりも強く僕の口の中で蠢いた。僕の頭の中は真っ白になった。彼女の手が僕のそれに触れていた。僕のそれは自分の想像よりも固く熱くなっていた。
彼女が僕の唇からはなれ、しゃがみこむのが分った。「僕はマサカズじゃないだろ?」僕はそう言いたかった。何度も何度も言おうとした。そのうち僕の頭はもう一度真っ白になって、僕は彼女の口の中で果てた。
◇
目が覚めたのは、四谷三丁目だったから30分ほど眠っていたのだろうか。僕の下着の中はひどい事になっていた。僕は予定を変えて新宿三丁目で下車して伊勢丹で下着を買い、穿いていた下着をトイレのゴミ箱に捨てた。
一体この体の持ち主は、どれくらいご無沙汰だったんだ。