第12話
「私に聞きたいこと?」ユカの声は緊張していた。裕美はゆっくりとマイルドセブンの煙を吐き出した。「そうよ、大体の察しはつくでしょ?」
僕はユカをじっと見た。彼女は僕の視線には全く警戒していなかった。いや、無視しているのかもしれなかった。「私、なんにも知らないわ。」ユカは地面を見ながらそう言った。「何も知らない?まだ質問もしてないのに?」ユカは裕美をにらみ返した。「あの人のことでしょ?私本当に何も知らないの。最近は会ってもくれないし。家にも帰ってないみたいだし。」裕美は煙草を捨てた。左足で軽く煙草を踏んだ。踏まれた煙草は死んでしまったヤモリのように僕には見えた。「知ってるじゃない、あの人が家に帰ってないって。そのほかには?ねぇ、ユカ。あなたがあの人の事を話したからって、あなたには誰も危害を加えたりしないわ。あたしが保証する。」
ユカの顔は真っ赤だった。「裕美さんは、あの人をどうしようとしてるの?あの人が何をしたっていうの?ねぇ、裕美さん。教えて、教えてよ!」裕美はうんざりしたように2本目のマイルドセブンに火をつけた。「いいわ、もう。あんたに聞こうとしたあたしが馬鹿だったのよ。じゃ、ね、ユカ。あんたもせいぜい気をつけなさい。行きましょ。」
ユカは泣いていた。僕はユカに何か言うべきだったかもしれないが、適切な言葉はなに一つ浮かんでこなかった。「ねぇ、彼女はコニシって人の女なのに、彼には会ってないってどういうことだろう?でも、彼は昨日僕からの電話には出た…。」「正確に言えば、マサカズの電話に出たのよ。マサカズからキクチマサトにかけられた電話に出たの。つまり、あの人はマサカズからの電話を待ってるのね。理由はなんだか知らないけど。」裕美は早足で歩いた。泣いてるユカを振り返りたくないのか、それとも他に理由があるのか僕には分らなかったが。僕らは目白駅には戻らず、反対方向の明治通り沿いに出た。そのまま明治通りを突っ切り、都電荒川線の横を平行して歩いた。裕美は一言も話さなかった。僕も無言で歩いていた。
右手に神田川が見えたところで彼女はふいに立ち止まって僕をまじまじと見詰めた。「かわいそう。記憶もなくて、頼る相手もいない。この先に何が待ち受けてるかも想像がつかないなんて。」裕美はそういうと、ゆっくりと僕に近づいてきた。近くでみれば見るほど美しい顔だった。大きな瞳、小さいけれど厚みのある艶っぽい唇、白い肌。彼女は無遠慮にどんどん近づいてきた。彼女の白くて細い指が僕の両頬に触れた。「かわいそう。」そしてゆっくりと唇を重ねてきた。
最初、僕は驚きで何が起こっているのかをはっきりと把握できなかった。でも、彼女の温かな舌が僕の口の中に差し込まれ、ゆっくりと蠢き僕の舌がそれにあわせて絡み合っていくうちに、僕には彼女が僕を愛しているような錯覚に見舞われた。彼女の口の中はほんのりとさっきの白ワインの香りがした。
唇をはなして僕を見つめ、もう一度軽く唇を重ねた。「今夜、もう一度会いましょう、私の部屋で。ちょっと行かなくちゃならないとこがあるから。あなたはあなたで考えたい事もあるでしょ?」裕美はキスしたこと自体忘れてしまったように簡単に僕にそう言った。僕が返事をしない間に、彼女はその場でタクシーを止め、乗り込んだ。「じゃ、ね。」
股間が熱くなっているのがはっきりと分った。これで、2度目だ。