そんな事は露ほども知らないカルボナーラ男爵一行は、スパゲッティ渓谷を下ること約6時間、ようやく最深部手前のウルティモの小屋のたどり着いた。その頃には日は西に傾き始め、夜がその勢力をひそかに伸ばし始め、気温を著しく低下させていた。二人はボートを岸に着け、縄で固定すると小屋を目指した。今夜はここに泊まるしかなさそうだ。
「王子、こんなところに小屋があること自体不気味ですが大丈夫ですかね。」
「さぁ、どうだろうな。しかし、誰も住んでないんじゃないのか?」
「わかんないですよ。」
二人が小屋に近づくと、煙突から煙が上がっているのが見えた。
「煙?王子、これは誰かいますね。」
「そうだな。」
ボロネーゼは男爵の先に立ち、小屋へ向かった。
「ごめん!」
中には初老の男が一人ぽつねんと座って暖炉の火にあたっていた。
ボロネーゼは老人を見つけるともう一度呼んでみた。
「ご老人、今夜ここに泊めて頂く事は出来ませんか?」
老人はゆっくりとこっちを見た。
「庭のジーラ・デル・ソーレが咲くにはまだ半月ほどありますでのぉ。」
「え?いや、そうじゃなくて、ここに泊めて欲しいのですが!」
ボロネーゼはちょっと大きな声で言ってみた。
「ムスメは26になりましたじゃ。」
ダメだこりゃ、と思ったボロネーゼは老人のそばまで歩み寄った。
「あの、今夜、ここに、宿を…。」
その時だった。ボロネーゼの首にひやりとした短剣が当てられた。
「おっと、声を出すんじゃねぇよ。今、あんたに騒がれちゃ元も子もないんでね。」
「だ、誰だ、貴様。」
「ふーん。名乗るほどのもんじゃねぇが、ジェノヴェーゼの手先、とだけ言っておくよ。」
ボロネーゼは内心しまったと思ったが既に遅かった。老人が椅子を立ってそばに来ていた。
「全くちょろいもんじゃ。しかし、男爵はまだ外であろう、どうする?」
「ぬかりねえよ、今ごろセーラがやっちまってんじゃねぇか?」
その頃、外では…。
男爵の目の前には、騎士姿のセーラが立っていた。
「観念なさい。今ごろあんたの間抜けな下僕は殺されちまってるよ。」
「罠だった、ということか。」
「今ごろ気付いても遅いよ!さぁ、剣を抜きな。」
「仕方ない。」
カルボナーラ男爵は剣を抜いて構えた。それに応じるようにセーラも剣を抜いた。互いに見合った第一印象は、かなりやり手だろうということだった。時間が止まったかのように、二人は微動だにしなかった。
小屋の中では…。
「おかしいな、何の音も聞こえねぇじゃねぇか。じいさん見てきてくれよ!」
「恐らく互いに手出しできぬほどの実力の均衡なんじゃろう。」
「あのセーラとか?そんな馬鹿な!」
「ともかく、結界陣だけは張っておこう。」
そう言うと老人はなにやら怪しげなまじないを唱えた。するとその瞬間、外は真昼のように明るくなり、光のドームに包まれた。
ボロネーゼは、自分のおろかさを責めたがもうどうにもならなかった。
「王子…。」