高橋裕也が逮捕された。3度目。その事自体をとやかく言うつもりはない。

薬物は、個人の責任範囲のことだ。

ただ、三田佳子はまた謝罪会見していた。

その、謝罪会見に向ける力のホンの一部でも息子の幼少期に愛情として向けていればこんな事にはならなかったかもしれないのだ。


子供は、ある一定の期間「親にとって何が一番大切か」ということを見ている。この期間に親が「子供が一番」ということを表現しきれないと、子供はその成長過程で(特に思春期)親に迷惑をかける。迷惑をかけることで、「自分が一番でしょ?」という問いかけをし続ける。三つ子の魂百までというが、この時期の体験が人間形成に大きく関わっているのだ。

よく、子供のいる家に親戚などを集めて食事している最中にその家の子供が「お家に帰りたい」などといって泣いたりする事があるが、これは「自分が一番大切にされる場所に行きたい。」というサインであり、他者の紛れ込んでいる家を自分のうちではないと錯覚しているわけではない。これを親がはきちがえると、子供は「あぁ、私は親のとって一番じゃないんだ。」ということになってしまう。

この「一番の心理」というのは大人になる過程でとても大切で、自信とゆとりのある子のほとんどは親から「一番だよ。」と伝えられて育っている事が多い。

だからといって、甘やかせばいいというわけではないところが子供を育てる上で難しい事なのだが、家の親なんかを見てると本当にそういう点でよく子供というものを熟知していたなぁ、と感心してしまう。