何かと話題になっている沢尻エリカ。


あんなに若くて、たくさんの映画に主演したら、恐らくどこかで自分を見失うか、世間の評価が自分というものを飛び越えてしまうかしてそれが一種の恐怖となり、奇行に走るだろうということは安易にに予測できた。


ま、その結果じゃないだろうか。ある部分では可哀相だと思うし、ある部分では『天才ゆえ』の決められた孤独との戦いの始まりなんだとも思う。



他人が求めてくる『自分』を日常的に演じるということは、非常にしちめんどくさい事だし、彼女が本当に『女王様』なのかは、本人だってちゃんと知らないだろう。ただ、はっきりしていることは、彼女と組んで仕事をしたクリエイターのほとんど全てが「沢尻は素晴らしい」といっていることだ。それは非常にいいことだが、若い彼女にとってそれが「なんで?どこが?」と思ってしまった場合、彼女はどんな人間より孤独で、寄る辺ない流離い人となってしまうのもまた才能ゆえの必定だろう。


僕は特に 彼女を贔屓にしてるわけではないが、『パッチギ』なんかではせりふのない場面で非常に難しい表情を演じ、眼の奥に特異な情熱を燃やす素晴らしいお芝居をしていたと思う。相手役の俳優が(名前は忘れてしまった、思い出す必要すら感じない)可哀相なほどの圧倒的な「何か」が宿っていた。

ヒロインというものは「悲哀」「情熱」のどちらかをより強く内包していないと意味をなさないのだが、彼女はそのどちらもを内包し、表現できる稀有な存在だろう。ヴィヴィアン・リーやオードリー・ヘップバーンなどの世界的な「ヒロイン」たちはこの二つの要素を武器に大女優となったのだ。


とりあえず、ちゃんと現場に復帰してまた映画に出て欲しいと思う。

ああいう子を「変な子」にしてしまうのは日本のマスコミのもっとも愚かなところだ。