うちのお客様のご厚意で、懇親会(というか食事会)をやろうという話になった。
昨日からその調整中なのだが、果たしてうちの劇団の子達は『レストラン』で食事したり出来るのだろうか?
(ま、出来るだろう。普通に考えて。大人なんだし。緊張するかしないかは別にして)
なんとなく、楽しみだ。
世の中には、『ルールとマナー』というものが(めんどくさいが)存在し、前者は勿論明確にどこかに記載された「守らなければならない約束」という性質のものであり、後者は「それくらいは守りましょうよ」という常識の範囲のものである。
つまり、破ったらペナルティのあるものがルール。
破ったら笑われちゃうのがマナーということになる。
では、テーブル・マナーとは果たしてどういうものだろうか?
なぜ存在するのか?
僕はこう考える。テーブル・マナーの一番大切なことは、『言葉以上のメッセージ』の意義だと。
たとえば、食事が終わって席を立つ(帰る)際、客は自分の使ったテーブル・ナフキンをくしゃくしゃに丸めてテーブルに置く。これは「美味しかった、また来ますよ」というメッセ-ジなのだ。すると、支配人やマネジャーはそのテーブルの担当者の仕事を評価し、次に同じお客様がいらした時にはそのギャルソンをテーブルにつける。
逆に、テーブル・ナフキンが綺麗にたたまれてあった場合などは、ギャルソンを呼び、何があったのか、料理に問題がなかったかなどを問いただすことになる。
この奥ゆかしきメッセージの積み重ねこそテーブル・マナーの本質といえる。
そういう文化の構築こそ、ヨーロッパの素晴らしさであり、また、あれだけの地域に言語の違う国が多数ある以上、言葉以外のメッセージの必要性を紐解くものといえる。
僕は小学校2年生から両親にレストランでテーブルマナーを徹底して叩き込まれた。
だから、レストランが好きだし、食事を楽しむことが出来る。
大切なことは、『食事を楽しむ』という、豊かさなのだ。
ま、残念だが東京の飲食店はほとんどがアルバイトの方で気分の悪いこともしばしばあるが…。