春は、冬という季節を想っているのだ。と昔誰かが言っていた。冬が去り、春になると、去っていった冬を想って三日と待てず涙を流す。だから、春先は三日と晴れ間が続かないのだという。今日もまた雨が降っていて、何ともやりきれない気持ちになる。
先週から、「退屈な時間」のレポートを書いていて、今日やっと終わった。この手の勉強をもう10年ばかりも続けているわけだが、年々新入生たちの日本語による表現能力の減退を感じる。こういうのは非常に深刻な問題で、表現者というのは、必ず「自分が感じる・感動する」ということが自然にスタートとならなければ技術的なことも含めて表現の世界にとどまることは困難なものである。
今回も、稽古に先立って、様々な課題を出してはあるが、それを「やって来る」程度の学習ではほとんど意味をなさない。本当のことを言えば、出された課題が、面倒で仕方ないから自分の考えをもち、確立し、そこから意見が言えるようになる、くらいでないとだめなのだ。
ぼくは子供の頃から、学校の宿題なんかろくにやったことが無かった。大体は、なくしたり忘れてきたりしたことにして言い逃れた。でも勉強は良く出来た。ようするに自分を賢くするための方法を子供の頃から身につけていたのだ。今の子供たちは、自分を賢くするための力があまりにも欠如している。だから、馬鹿正直に課題に立ち向かうか、それをそもそも撥ね付けるかどっちかしかできない。それじゃあ芸術表現なんかデキッコナイ。今回、僕を裏切って、「課題なんかやってません。でも、僕にはこんな考えがあります」と、誰か言わないか期待してしまう。まあ、そんな大胆なことはなかなか出来ないだろうけど。「考える力・判断する力・記憶する力」の総合力を僕は「賢さ」と呼んでるんだけど、これを発揮する子を見つけたいなと。
さて、いずれにしてもまだ20日ほどあるから。楽しみにしておこう。
とはいっても、5月1日には激怒したブログを書く羽目になるかも知んないけど。