昨日、京都に帰ってきた。夏にも帰ったから、3ヶ月ぶりかな。
生まれも育ちも京都で、おばあちゃんが舞妓、祇園は遊び場、みたいな環境で20年近くも育ったせいか京都なんて大っ嫌いだった。けどこの1年くらい少しづつ嫌いじゃなくなってきた。なんでだろう?年をとったせいかな。
京都なんて、関東の人が思うほどいいとこじゃない。格式だの、伝統だの聞こえのいいことばかりでいたって保守的だし。まして差別だのなんだのいまだに渦巻いてるし。子供の頃からそういうものを目の当たりにしてきて、「京都の素晴らしさ」なんてとても人には語れない。事実、留学中なんてほとんど京都の話はしなかった。・・・・・・ところが。
最近、「様式美」というものに対して、ものすごい欲求を持つようになった。まあ、形的なある種の美しさがもともと好きだったわけだけど、それにプラスして、形式のもつ合理的美しさ、また矛盾するようだけど形式を離れた、一種の存在感としての美しさ、そこに注がれた時間と、またかかった人間の手数による累積美みたいなものがとても好きになってきた。
その結果として、京都に対する認識が変わってきたんだと思う。
東京に住んでても美しいものにはめったにお目にかかれない。きっと、この街には「流行」が必要なのだ。
京都にはそういう流行の匂いがあまりしない。
昨日、朝9時に京都駅に着いたら、そこにはもう「秋の京都」の香りが漂っていた。よる23時に東京に戻ってきたら東京には「秋の気配」だけがしていた。こういうのって、結構すごい差だと思う。
京都で秋の味覚を心行くまで堪能し、秋の京都を散策し、とても疲れたけど心はこの何年かで一番充電された。今朝目が覚めてとても幸せな気持ちだった。
豊かに生きることは、簡単じゃないしお金だってかかるけど、そのことで今日より明日、また頑張って生きられるならそうしてみたほうがいいと思う。
昨日、「秋の京都」は僕にたくさんの事を教えてくれた。
今日からまた、忙しい毎日が始まるけど、いつもよりほんの少し頑張ってみようと思う。