店のホームページに書いている小説が、もうすぐ終焉を迎える。最後まできちんと書いたのはこれで3作目。

世の中の耳目に触れるのはこれが初めて。ちょっと、嬉しいもんである。

初めて小説を書いたのが14歳のときだから、そう思うと長く書いてることにはなる。

どうして、書くのか。正直に言えば、これが一番魂が救われる行為だからだ。舞台に立つより、演出をするより、ワインを選ぶより。

そして、もっとも優れている点は、ほとんどの作業が家で一人でできるということだ。

己の内省的な部分を見つめ、寂しさを両刃の剣と掲げ、文章を書いているときの素晴らしい気分は、何物にも換えがたい。

40代(まで生きてたら)には、小説家として生きていたいと思う。


でも今は、僕の肉体と血が、「労働たるものの苛酷さ」を求めている。

そこから得られる、人と人の繋がりと経験を求めている。

芝居をすることも、ワインの栓を抜くことも、仲間を想う事も、全てはここに理由がある。


実は、弟と共同で芝居をしようと思う。

原作と、演出を弟が。脚本と主演を僕が。

年内には書き始めて、来春あたりには具体化したいなと思う。


そろそろ、新しい台本を読みはじめようと思う。

芝居の仕事をし、小説を仕上げ、皿を運び、ワインの栓を抜く。休みの無い、素晴らしい日々。恵まれた暮らし。

全てに感謝し、挑戦し、時に勝ち時に負ける。それでいい。

そうやって少しづつ人生は進んでいく。そしてやがて死ぬのだ。


「白鳥の歌」を演じるのは、老いた自分を夢見るため。

「小説を書くということ」は今の自分を、自分自身に刻み込むため。

とにかく精一杯、今を生きる。僕と、僕を愛してくれる全ての人のために。