山本一太群馬県知事のブログを拝見して。
「正しい」と信じること、それはどこまで客観的にいえるのかという検証が必須となるように感じる今日この頃。。
さて、「正しい」とか、信じるとか、言う前に、「事実」を「知るということ」について
「接種者の方が非接種者よりウイルス量が多い」という事実についての新田博士のポストの情報
(ポストの日付:2024年1月15日)
感染性ウイルス放出のデータは2021年8月にプレプリントとして公開されたが、査読を完了して科学誌に掲載されたのは2022年9月。速報性が重要となる内容だと思うが、査読に1年かかった。
— 新田 剛 Takeshi Nitta (@takenitta) January 15, 2024
もともとは数百人規模の解析 → 査読の間に1万人規模に → 結論は変わらず。https://t.co/nomRQZLY1U
ポストのURL:https://twitter.com/takenitta/status/1746830700735852717
引用元ポストのURL:https://twitter.com/takenitta/status/1593643185158266881
1年前のプレプリント論文が査読完了して掲載されてました
— 新田 剛 Takeshi Nitta (@takenitta) November 18, 2022
Riemersma et al, PLoS Pathogens 2022
タイトル
「ワクチン接種にも関わらず感染性SARS-CoV-2が放出される」
「にも関わらず (despite)」というか、、接種者の方が非接種者よりウイルス量が多い…
知ってたけどhttps://t.co/D5Vxupkay9
査読にかかる期間、そして、一般の人にわかりやすく情報がX(旧Twitter)のポストに掲載されるまでの時間。
データサイエンスによる政策判断といっても、そのデータが「科学は修正を受ける」というものであるため、どこまでデータの裏付けのようなことを行政の専門家がしているのか否か。
群馬県政でいうなら健康福祉部や県にアドバイスする何某かの研究機関などの専門家の連携の仕方から程度、情報共有の仕組などに「改善点」が常に存在し続けていると感じます。
産婦人科学会と海外の論文の変遷についての話題(動画)のURL:
2024.1.25京大の宮沢孝幸准教授
— 福田 世一_小倉台福田医院 院長 (@fseiichizb4) January 24, 2024
私は産婦人科学会と戦ってきた。
コロナワクチンの性質上、胎盤に取り込まれるのは確実。
その影響はいまだ未知だと思うhttps://t.co/q5mswfU98i https://t.co/oOveEp3eli pic.twitter.com/6O68niiNYB
ポストのURL:https://twitter.com/fseiichizb4/status/1750181800675246387
日本の都道府県のどこにでもいえるかもしれないことは、行政のトップが「正しい」と信じたことの根拠の土台となる情報が「きちんとしているのか否か」ということの確認が必須になっているような感じでしょうか。
国内外の専門家の情報の流れをきちんと行政として把握しているのか否か、そのような仕組みが整備されているのか否か。
なかなか、法学部卒などのように自然科学の履修科目が大学や大学院にはないとき、必要に応じて「お勉強をしていく」にしても、バランスよく博識になっていかないと「井戸端の物知り博士」にすら専門知識の質において追いつかずに知識の質と量において劣りかねることになりかねないリスクがあるようにも。
そして、行政のトップが「正しい」と信じたことの検証が「選挙」できちんと検証できるようになっているのか否か。
今後も、新型コロナワクチンのリスクについての「事実の積み重ね」というものも、どんどん、薬害被害者さん達の病理解剖による証拠や査読済み論文等その他で積み重ねられていくのでしょう。
そして、やはり、「いつ知ったのか、いつから知るべきだったのか。そして、これからどうしていくのか。」ということは大切と感じます。過去ときちんと向き合わない人達は、同じ間違いを繰り返す危険性すら感じます。
もちろん、万が一にもあってはいけないのですが、もしかしたら、ひょっとして、行政において「黙秘権」の大切さを身に染みて感じる人がいたとき、それは「認識」レベルなのか、「認容レベル」なのかにより、「自己に不利益な供述」の意味内容が変わると思われます。そのとき、行政のトップが「正しい」と信じたことの対象が真実かつ実質的に具体的に県民市民の法益を守ることなのか否か。もしも、行政に携わる人達が「正しい」と信じたがゆえに説明が乏しくなるのであれば、説明不足となる説明の説明しなければいけなかった内容如何によっては、「黙秘権行使」というのとあまり変わらず、説明の「拒絶」をしているのとあまり変わらない結果をもたらすように感じます。
備考:「正しい」ということについて
製薬会社が安全というのなら、絶対安全と言うのであれば、歴史上薬害は出ていないことになるのだが、それはどのように思っているのだろうか。少なくとも「わからないことがある」は正しいと思うのだが。
— 宮沢孝幸(Takayuki Miyazawa) (@takavet1) January 24, 2024
選挙できちんと説明をするためには、いろいろな情報の開示を伴うことも考えられるので、どのように情報を収集し検証し公開できるのかも、ある意味、マネジメント能力の程度の問題ともいえなくもないと思います。
なかなか、現実には厳しく難しいお話とは思うけれど、一つ一つ丁寧に考え続けていくことが大切かなと。
念のために注意書き。
風評被害はいけません。
事なかれ。
追記:
わたくしのブログ記事の中の「正しい」を「県民のためになる」に置き換えて読んでも意味内容は大きく変わらない。
山本一太群馬県知事のブログの中の記載にある『「県民のためになる」(=正しい)と信じること』は、事実と異なる場合をも想定して、そのようなデータが変更され当初とは異なる結果をもたらす場合の当時の政治判断さえも、その当時は「県民のためになる」(=正しい)と信じることもあるのか否かはわかりかねます。もしかすると、政治判断の幅の問題なのかもしれませんね。
ポジティブな言葉を好んで、ネガティブ系の言葉を忌み嫌うがゆえの「表現方法」と思考に基づく「政治判断」というのがあるのか否か。