回復への10ステップ10/10 | アダルトチルドレン専用カウンセリング札幌

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クライエント数のべ約6,000名以上、
セッション(90分)回数=1万回以上のボクが、
あなたのお悩みを、納得するまでサポートします。



回復への10ステップ 10/10


テーマ:家族と自分との和解


家族と自分との和解』について考えることで、2023年9月17日〜今日まで一年間の締めにしたいと思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
。♥︎。・゚♡゚︎・。♥︎。・゚♡゚︎・。♥︎。・゚家族と自分との和解゜♥︎。゚♡゚︎・。♥︎。・゚♡゚︎・。♥︎。・゚♡゚︎・。♥︎。
 
 
 
 
 
 
アダルトチルドレン(AC)にとって、
 
 
和解という他人との交流は
縁遠いと言いますか、
 
あまり現実味はないのかもしれません。
 
 
 
自分の人生を振り返ってみると
 
 
傷つけられたり裏切られたりして
人間関係が壊れた経験の方が
多く感じるのではないでしょうか。
 
 
 
和解すると言っても
心身ともに労力を使いますし、
 
 
お互いの主張がぶつかり合うことを
避けて
 
家族から逃げることが
その時の自分にとっては
精一杯の選択だったという人も多いですし、
 
 
親自身の利益しか考えない態度に
怒りしかない自分を
悲しく思って
 
諦める人も少なくないと思われます。
 
 
 
 
そのような
家族との関係が困難になっていても
自分の人生は続いていくので、
 
 
最終
段階として
 
 
自分と和解することが
 
アダルトチルドレン(AC)が目指したい
最終目標なのかもしれません。
 
 
そうです、
ラスボスは自分だった、ってやつです。
 
 
 
 
 
母娘との対決で話したように
 
「自分」って簡単じゃないし
 
なんだかめんど臭く感じませんでしたか?
言い方🤣笑
 
 
 
 
そうなんですよね…和解って言うと
なんだか大それた響きがありますし、
 
 
生きてて思い通りにならないことが多くて
 
変わることを考えることもナシに
だんだんと
ルーティンだけの日常になってるときがあって、
 
 
 
気がついたら
 
 
アレ、
20代のころと変わってなくない??と、
 
50代になって戦慄する瞬間があり😨
 
 
「見なかったことにしよう…」と、
 
 
そっとフタを閉める、みたいな、、
 
 
ありますよね❓ないとは言わせない🤣笑
 
 
 
まあただACの生きづらさの
根本には
 
"世界観の歪み"があって、
 
 
フレーム自体が無自覚なまま
ゆっくりと歪んだかもしれなくて、
 
でも、
 
自分の見え方としての歪みが
何なのかわかんないと思うんですよ。
 
 
だから何とかしたいと思ったときには
 
ネットで調べたり本を買ったり
講演に参加したり人によっては
セッションを受けたりする時があるかも
(積読や寝落ちとか、ストレスがかかり逃避するパターン🤣)
 
 
 
だけど、、、そう、めんど臭がる自分😂がいる
 
いや〜何から手を付けたらいいか…
途方に暮れるし皆目見当もつかない…ってなる。
 
 
 
 
たとえば、自らの心を部屋にたとえるなら
具体的なイメージとして、
 
ゴミ屋敷とか汚部屋と呼ばれる動画が
YouTubeなんかで見られるじゃないですか
 
 
カウンセリングの場でもしばしば写真をクライエントから見せてもらうことがあります。
 
 
すごい…と驚嘆するのは、
汚部屋を自力でリフォームする人がいます
 
力を発揮するとき、ゼロ100が働いて
ピカピカに仕上げて生活の質を上げて
自分を取り戻していく方がいる事実。
 
絶句するような部屋(心)という環境を、自らの手で改善できた!という視覚化された成功体験も、生きづらさ解消へ向けた効果があるのかも知れないですね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ボク自身の話をすると、
 
 
親の離婚によって6歳ころから自炊しなければならなかったから、
 
毎日のようにボクひとりで掃除や洗濯、料理に風呂と、生活すること自体に必死でした。緊張してた毎日。
 
 
 
だからなのか、
 
早く成長しなきゃって思い込んでいたし、
さみしくてただ寂しくて話し相手がいないから
 
食べまくった😂激しい怒り…🥲
肥満になりダイエット大変だった…
(小6で身長168cm、体重72kg)
 
 
一日も早く独立したかった。
 
だから16歳で親元を離れました。
アルバイトをしながら一人暮らし
極端がすぎる…😂
 
 
自分が望んだとはいえ
より孤独が深まった当時のボク
 
親の愛情が欲しいのに真逆の行動
 
 
そんな孤独をわからないながらも
 
高校から美術科で学び大学はデザイン学科で
ゲージュツに癒されようとしていました(16〜23歳)
 
 
 
そんな、、当時は
自分と和解する余裕ないですよ(笑)🤣
 
 
毎日「俺って何なん?」って思ってた
 
 
:何のために絵を描いてるんや、めちゃ好きな音楽聞いてても気持ちの底の方にはナニか冷たい違和感があるって感じてた。橿原神宮の美しい景観を晴れた日に眺めても、何か自分が汚れてるように感じて、俺ここにおったらアカン人間やって感じていた学童期
 
 
 
 
まあでも、時は流れ笑
 
 
自分が結婚して子どもたちが生まれてきてくれたおかげで、
 
ボクの場合はずっと先送りにしていた
 
自分との和解に意識を向けざるを得なかったです。30代から始めました。
 
 
苦しいし恥ずかしいし情けないし、、惨めなセルフイメージを修整していくのに時間がかかりました😭しんどかった…でも完遂してよかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
ボクのルーツである母は、
 
 
母の母が女衒の子で花魁で売っていたそうで、
母の父親はお客さんだったらしい。
 
(鬼滅の遊郭編の世界👹あんな煌びやかじゃないとは思うけど。変に懐かしい感じがしたのは元型の現れか)
 
 
 
まだ子どもだった頃の母は、
 
次女の姉に手を引かれ遠目に父と思しき呉服問屋の若旦那を一度見たきりだったそう。何も感じなかったって。時代劇やん😂
 
 
八人きょうだいの末っ子で母だけ父親が違うからか、親戚をたらい回しにされ転々と生活していたそう。
 
中学を卒業して島根県の津和野のパーマ屋さんに住み込みして美容師になり、でも師匠の雇い主にムカついたしめんど臭くなり辞め😂
 
(師匠が飼っていたワンちゃんにばかり当時貴重だった菓子パンやバナナを与えて母には一切くれなかったからキレたそう。食べ物の恨みよ…😂)
 
 
福岡に出て水商売の世界に入ったそうです。
 
(魔のトーク力を手に入れたって自分語りしてた。亡くなる五年前に自己破産してガンを患い、最期はワンルームの古いアパート住まいだった。代償は命だったのかって妄想😂58で鬼籍に入った。母から学べたことは、学歴への反抗心やお金を忌み嫌うような憎しみを自分で何とかするために、自らを痛めつけるようなジェットコースターさながらの生き方によって叶えようとしても、命より大事なものは無いし自分を大切にするというのはどういうことなのか、反面教師のように身をもって教えてもらえた事。この解釈が息子であるボクと16年前に亡くなった母とのつながりだと思っている。財産はゼロというかしっかり借金を残してくれたけど😂おかんの孫たちは今日も元気に健やかだよ!)
 
 
 
そして、ボクの父がお客さんとして母と出会い、ボクが生まれた。。
 
 
 
アレ、似たパターンじゃない?(笑)
 
遊女ではないけど、母はスナック経営でめちゃくちゃ稼いで3回離婚して、そのおかげもありボクは芸大にいけた。
 
 
母自身も母の母から愛情を与えてはもらえなかったそうで、母は母なりにボクに愛情を与えてくれてはいたと思う。たとえしょっちゅうギャンブル依存の父とケンカして夜中のレイトショーへ幼いボクを連れ出したのだとしても、当時の母の不安や怒り、まともに生きたいという希望を叶えられない苛立ちを、40年以上の時間が経ったけど、現在のボクは共感している。当時30歳ぐらいだった母にはボクしかいなくて、どうしようもない母の気持ちを無自覚なまま受け取ったことで生まれたボクの動揺は、今はこうして穏やかに安らいでいるのを感じる。母も孤独だったんだなって
 
(レイトショーで観たエクソシストやオーメン、悪魔のいけにえ怖かった〜💦スクワーム気持ち悪かった😂)
 
 
 
まあでも、子どもの頃のボクは、母の葛藤や孤独を理解できるはずもなく、母には120%の恨みしかなくて反発ばかりして扱いにくい息子だったと思う。「なんでオカンはわかってくれへんのや!?」って、毎日のように怒っていたボク。でも母は一度も言い返さなかった。
 
 
 
 
 
 
 
このような背景がボクにはあり、
 
 
学歴コンプレックスのある母の夢
「アンタを必ず大学まで行かせる」を叶え、
 
ほしいのは母からの愛情だけだったけれど、
 
まあ母も愛情を与えてもらえなかったから
我が子へ愛情を与えるということがサッパリわからない様子で🤣仕方ないか…と
 
(仮に、6歳の我が子を毎日のようにひとり夕方から夜中〜朝方までアパートに残して仕事へ行けるだろうか?😅 ボクは経験したけど我が子にそんなネグレクトやマルトリートメントとも捉えられるようなことはできない)
 
 
 
 
今の」ボクの気持ちとしては。。
 
 
6歳のときに感じた諦念は今でも大事に
ボクの心にしまってありますし、
 
 
30代のころに再決断した思いは
間違ってなかったと感じています。
 
 
「俺って何なん?」という自分に対する不信感は、
 
ずっと無数の点でしかなかったけど
だんだんと
線や面で捉えることができるようになり
 
 
奥行きや高さも感じられるようになって
 
「自分」という存在を客観的にみるための
 
視座の調整が身につきました。
 
 
 
この感覚は、時間や距離に適応され
人の話しを聞くときに大いに役立っています
 
 
 
 
 
 
以前は自分の人生を悔いるしかなくて、
挽回するしかないとか、どうせ失敗するとか
正当に評価されることはないとか
 
 
劣等感が…非常に。。厄介でした😂
 
 
でも、ボクはボクなりに
自分が助かりたくてACであると認め、
 
重たい生きづらさを解消するために
自分が歩んできた人生という時間を
 
できうる限り丁寧に徹底的に
怒りを込めて(笑)分析したり振り返ることで、
 
 
「ああ、そっか、子どもの頃のボクは
あのことをわかってもらいたかったのか…」と、
 
 
感情に焦点を当てながら
気持ちのひとつひとつを確かめました。
 
 
人が怖くてたまらないのには
ちゃんと理由があったか。。と、
 
 
腑に落としていく時間を重ねていくことで
嘆いていた持って行き場のないボクの気持ちは
少しずつ少しずつ少しずつ…
 
 
泣いて怒り悲しみ切り緊張がほぐれ
 
もう戦闘体制は解除していいんだと
自分へ許可を出せたことで、
 
 
歪みまくったボクの世界観は😂
 
 
決してまっすぐというわけじゃないけど
 
直人(なおと)という名前の
伏線回収を完了させた感じです
(どえらい名前つけてくれたねパパ笑)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そんなこんなでボクなりの
 
自分との和解を証明する意味も込めて、一年間毎日投稿できたら、
 
ボクはボクとより仲良くなれるんじゃないかなって思ったんです。
 
 
それにあわよくば😆習慣化されて毎日投稿することが
楽しめているかなーーーなんて良い意味で自分へ期待もしていました。
 
 
書いてきた内容がどれくらい困っている方の
お役に立ったのかはわかりませんが、
 
カウンセリングで話題にしてもらえたり
メールでのご質問やセッションのご予約につながっているので、
 
些少ではありますがお届けできたのかなって
喜んでいます😊
 
 
 
 
一年間お読みいただいてありがとうございました。
また明日からも宜しくお願いします。
 
なおとより愛を込めて😁
 
 
 
 
 
担当心理カウンセラー 
村上なおと
カウンセリングサロン Anela
札幌市中央区北3条西18丁目2-11 ブランノワールW18.exe 301号
・地下鉄東西線の西18丁目駅より徒歩8分
 
☆お陰様で13年目
皆さまのお陰です。ありがとうございます(^人^)感謝♪︎
 
 
ご予約はこちらから
 
 
 
 
 
260/365 家族と自分との和解
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

小6の「飛鳥めぐり」パンパンなボク🤣🤣

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 

子ども時代のボクです(笑)

 

 

 

 

 

奈良に来たての6歳頃。いきなり運動会🤣
卒園式。担任の先生優しかった
 
上は奈良に来たての6歳の頃。いきなり運動会🤣
下は卒園式。先生やさしかった。
44年前
 
 
 
 
 

 

 

サッカーしてた小6の頃
うしろに立つオジサンが😂
 
 
 
 
 

 

 

 
中学時代
どした?俺🤣🤣
 
 
 
 
 

 

 

高校時代
どした?俺😂😂
修学旅行で北海道に来てた✨
 
 
 
 
 

 

 

大学の卒業証書
小西は二人目の父親の姓
この時代以降の写真どっかいった🥲
下の写真も小6の頃
後ろの車に立ってるのはオカンの浮気相手🤣
この時代が一番大変だったな〜でも
今は善き思い出☺️
 
自分と和解すると楽だ〜🏖
 
 
ps;自分アルバムを簡単でも良いので作成してみるのも回復につながります
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 たいていの親は赤ん坊とごく自然に接するので、どのように同調が起こるか、ほとんど自覚していない。だが、友人の愛着研究者エドワード・トロニックに招かれた私は、その過程をもっとつぶさに観察する機会を得た。ハーヴァード大学の人間発達研究所の、こちらからだけ向こう側が見える観察用のマジックミラーを通して、私はある母親が生後二か月の息子と遊んでいるのを眺めた。男の子は、母親と向き合うかたちで乳児用シートに座っていた。
 二人は互いに甘い声を掛け合い、楽しんでいたが、母親が身を屈めて鼻を押しつけると、興奮した赤ん坊は母親の髪の毛をぐいっと引っ張った。不意を衝かれた母親は、痛みで悲鳴を上げ、赤ん坊の手を押しのけながら、怒りで顔を歪めた。赤ん坊はただちに手を放し、二人は互いから身を引いた。どちらにとっても、喜びのもとが苦悩のもとに変わった。赤ん坊は見るからにおびえ、両手を挙げて顔にあてがい、怒った母親を視界から遮断した。それを見た母親は赤ん坊が動揺しているのに気づき、彼に注意を向け直し、落ち着かせるような声を出して丸く収めようとした。赤ん坊は相変わらず目を覆っていたが、まもなく、つながりへの渇望が再び頭をもたげた。そして、手の間から覗き見て、もう大丈夫かどうか確認していると、母親は心配そうな顔で赤ん坊に向かって手を伸ばした。彼女がお腹をくすぐり始めると、赤ん坊は両腕を下げ、急に嬉しそうにくすくす笑い出し、二人はまた打ち解け合った。赤ん坊と母親は、再び同調したのだ。喜び、不和、関係修復、新たな喜びというこの一連の変化は、全部で一二秒もかからなかった。
(中略)
 安定した愛着が能力の育成と組み合わさると、内的な統制の所在(行動や評価の原因を自己の能力や努力に帰すること)につながる。これは一生を通じて、外界に健全なかたちで対処するためのカギを握る要因だ7。安定した愛着を持っている子供は、何が自分の気分を良くさせるかを学ぶ。何が自分(と他者)の気分を悪くさせるかを発見する。主体感覚を獲得し、自分の行動が自分の感じ方や他者の反応の仕方を変えうることを理解する。安定した愛着を持つ子供は、自分が制御できる状況と、助けを必要とする状況の違いを学ぶ。困難な状況に直面したとき、自分が能動的役割を果たせることを学ぶ。それとは対照的に、虐待やネグレクトを経験した子供は、恐怖を覚えようが、懇願しようが、泣こうが、養育者には認識されないことを学ぶ。彼らが何をしようと、何を言おうと、殴打は止まないし、注意を向けられることも、救いの手が差し伸べられることもない。彼らは事実上、のちの人生で難題に直面したとき、諦めるように条件づけられているわけだ。
(中略)
 私はこれまでずっと、どうして親が子供を虐待するようになるのか不思議に思ってきた。なにしろ、健全な子供を育てるというのは、人間の目的意識や存在意義のまさに核心にあるからだ。親は何に駆り立てられて、わが子を故意に傷つけたり、ネグレクトしたりしうるのか。ライオンズ=ルースの研究は、一つの答えを与えてくれた。彼女の録画を観ていてわかったのだが、子供たちはしだいに慰めようがなくなったり、むっつりしたり、同調しそこなった母親に対して反抗的になったりしていった。一方、母親たちのほうも、子供との相互作用の中で徐々に苛立ち、打ちのめされ、無力になっていった。いったん母親が子供のことを、同調した関係におけるパートナーとしてではなく、癪に障る、腹立たしい、心の通わない他者として見るようになると、その後の虐待の舞台が整う。
 一八年ほどあと、これらの子供たちが二〇歳前後のとき、ライオンズ=ルースは追跡調査を行い、彼らがどうしているかを調べた。生後一年半のときに母親との情動的意思疎通のパターンが深刻なまでに混乱していた子供は、自己感覚が不安定で、自己破壊的な衝動(浪費、性的逸脱、薬物濫用、無謀運転、過食など)を持ち、不適切で強烈な怒りを抱き、頻繁な自殺関連行動を見せる若者になっていた。
 ライオンズ=ルースと共同研究者たちは、敵対的な、あるいは押しつけがましい母親の行動は、子供が精神的に不安定な大人に成長することを予想するうえで、最も強力な手掛かりになると考えていたが、結果は違っていた。親が情動的に自分の殻に閉じこもることが、最も深刻で長期にわたる影響をもたらしたのだ。情動的な隔たりと役割の逆転(母親が子供に面倒を見てもらうことを期待するような場合)は、子供が若者になったときに、自分や他者に対してとる攻撃的な行動と、明確に結びついていた。
 
 
ベッセル・ヴァン・デア・コーク「身体はトラウマを記録する」p184-187、p198-199より抜粋
7.M.Main,"Overview of the Fieid of Attachment,"Journal of Consulting and Clinical Psychology 64,no.2(1996):237-43.
 
 
 
 
 
 
 
 
 
トラウマの束縛
 何かの縁で人と人とがつながってゆくのは素晴らしいことです。仲睦まじい夫婦、親子の絆、友達同士の縁など強くて心温まる人のつながりは有り難いものです。しかし人間同士の強いつながりのなかには残念ながら有害なものもあります。飴と鞭を繰り返すことで形作られる虐待的な人間関係は非常に強固なトラウマの要因となります。トラウマの束縛とは、怖れ、興奮、危機感、スリル、セックスに伴う強い情動などをベースにして築き上げられた病んだ人間関係です。極端な状況下で強烈な感情を誰かと一緒に味わうと、人と人は強く結びつきます。それは良い場合もありますが、トラウマの束縛の場合は、そのきわめて悪い例であると言えます。
 トラウマの束縛の多くは、子ども時代に親から虐待を受けたり、精神的または身体的な見捨てられ体験をしたりすることから生じます。そして、その子どもが大人になると今度は恋愛相手や自分の子どもに対して新たなトラウマの束縛を自ら再生産してゆくのです。本人のトラウマ自体を癒さなければこの世代間連鎖は止まりません。
 
クラウディア・ブラック「あなたの苦しみを誰も知らない トラウマと依存症からのリカバリーガイド」p129より抜粋
 
 
 
 
 
 
 
 
「[私は]人生を幸せで快くしうるさまざまなものに囲まれているというのに、それでも私には喜んだり感じたりする能力が欠けています。・・・・・・私の感覚のそれぞれ、私の本来の自己の各部が、いわば私から切り離され、もはやどのような感情も抱かせてくれないかのようです。この状態は、自分の頭の前部に感じる空白に拠っているようであり、自分の体の全表面における感覚能力の鈍麻のせいのように思えます。なぜなら、私は自分が触れるものに、実際にはけっして手が届いていないように思えるからです。これはみな、些細なことなのでしょうが、恐ろしい結果を伴うので、そうも言えません。他のどのような感情も、どんな種類の楽しみも、私がそれを必要とし、望んでいるにもかかわらず不可能であり、人生を計り知れぬ拷問に変えてしまうという結果です」
 
ウィリアム・ジェイムズ『情動とは何か』1884年 W.James,"What Is an Emotion?"Mind 9:188-205.
ベッセル・ヴァン・デア・コーク「身体はトラウマを記録する」p150より抜粋
 
 
 
 
 
 
 
 
 人格の統合性とは死に直面しても人生の価値を肯定しうる能力であり、自己の人生の限界の有限性と人間の条件の悲劇的限界と和解する能力であり、絶望なくして現実がそういうものであることを受容する能力である。
 
人格の統合性は対人関係における信頼をそもそもその上につくった土台であるが、いったん砕かれた信頼をとりもどす土台でもある。
 
ケア提供的な関係における人格の統合性と信頼との緊密な相互関係は、世代から世代へと引き継がれる鎖の輪のつながりを完全なものにし、外傷が破壊する人間のコミュニティ感覚を再生させるものである。
 
ジュディス・L・ハーマン 「心的外傷と回復」p240より抜粋