病院で働く有名な医師までが、ワクチン接種に反対し始めている。
心臓・循環器系の専門医らであるが、コロナ禍の当初から、ワクチン接種で血管内面がやられ、毛細血管の機能低下で、身体不自由になる若い人が出ていた。
昨日、日本全体で感染者数:20万人以上で、医療機関で対応できるのかどうかが、課題になっている。
一日20万人は、多いように思えるが、毎年の風邪では、例えば、4千万人が感染する。そして、1~2千万人が、病院に行く。
計算上、一日100万人の感染は、大ニュースにならない、ほぼ毎年のことである。
現在の第7波は、数千人に1人が死亡する風邪やインフルエンザと同様と考えられる。
日本の第7波がどうなるかと言えば、今後の1~2ヶ月で収束を開始する。(どの国でも過去の感染症の推移は、感染者数が増加する期間は、1か月から3ヶ月)
私は、子供の頃、植物、昆虫に夢中になっていたが、一日に昆虫を何時間も観察して本当に楽しかった。
それから、大学で物理や化学を学んだが、結局、自分には、とても手に負えない、分からないことが多すぎだと、分かった。
それまでの研究者の思考回路が、自分に理解できないのであるから、どうしようもないと思った。
大学の担当教授は、何を尋ねても、必ず私が答えるので、どうも、研究者向きの学生と思われていた節がある。
卒業して、しばらくしたら、教授が1年だけでもやれば、博士号をやると言われたが、私自身は、既に精神的に敗北していた。
何にでも応える性格は、意外に優れた素質だと思うようになったのは、自分が指導する立場になってからである。
(私は、論文を読んで・・それが、英語なので他の学生の数倍の速度で回答できるというだけのことで、私の頭は、空であった。
しかし、それでも指導教官にとっては、そこから出発できるという意味で、一つのステップなのである。)
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日本政府のコロナ対策にいらいらしている人がいるが、
そのような人は、政府機関・政府職員の「無謬性」を理解すると良いだろう。
どの分野でも、どんな失敗があっても、間違いを訂正しない。
この点、日本政府関係者は、欧米諸国よりも、かなりひどい。
私は、国内外で多くの組織コンサルティングをしてきたので、理解できるが、
これは、同調性を皆が自然に求める日本の言語文化から来る伝統的性格である。
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最近知った話では、日清日露戦争時の陸軍の脚気問題である。
当時の陸軍軍医(1904~1906年日露戦争時軍医部長、1907年45歳で陸軍軍医総監:中将相当)は、森鴎外(森林太郎)であったが、
彼は、「脚気菌」という細菌説に固執し、日露戦争(1904-1905年)で2万7千名(日清戦争では、脚気で4千名死亡)の陸軍兵を死に至らしめた。
それに対して、ビタミンBを含む麦飯も食べた海軍は、脚気患者がいなかった。
日露戦争中、ロシアの陸軍には、「よたよたと歩行もままならない日本兵が、無謀な攻撃を仕掛け、なすすべもなく撃ち倒された。」という記録があるようだ。
驚くべきことに日露戦争勝利への障害は、味方にもあったのだ。
戦後、鴎外が、創設した「臨時脚気病調査会」は、16年間の活動で、ビタミンB欠乏症(白米原因)説の承認を遅らせたが、
鷗外は、死ぬまで「脚気の原因」について態度を明らかにしなかった。
鴎外は、東大医学部に11歳で入学した俊才だが、「蓄財と出世にしか関心のなかった男(幸田露伴評)」として、さらに評判を落としたくなかったのだろうか。
日本医師会を創立し、初代会長となったのは、北里柴三郎であった。彼と共に血清療法を発見したベーリングは、第一回ノーベル生理学・医学賞を受賞したが、北里は、受賞しなかった。
これは、森鴎外らが信じ込んでいた「脚気細菌説」を北里が批判し、日本政府からの推薦がなかったせいだとも言われている。
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現在、東大理三(医学部)では、物理選択合格者は、生命科学を、生物選択者は物理を一年間、履修するようだが、
1990年代だったが、子供の頃から生物に経験のない医学部学生が多く、骨が折れるとの東大医学部の教授の話を聞いたことがある。
感染率・死亡率など数値に強いはずの医学専門家集団が、日本政府にアドバイスしているのだが、現場でどんどんと経験値を上げている医者の言葉は、耳に入らないようだ。
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以下は、北海道のある市長に人の育成方法として紹介した、私が学んだ米Darden SchoolのCase Methodによる授業風景である。
ここでは、全授業が、学生同士の議論とQ&Aで進んでいる。
教授は、学生同士の議論を側面から支える(Facilitation)役割である。
基本的に、ビジネス事例の失敗と成功から学ぶ方法であるので、
ここでは、誤解や失敗が、日常となり、学生は、自由に議論できるようになる。
セメスターに2度あるペーパーテストの評価を50%、
そして、クラス議論への貢献度を評点の50%としているので、無言の学生は、残れない。
学生は、クラスメートに教えることが評価される。
そのため、クラスの雰囲気は、この評価軸に沿って、学生同士、支え合う方向に変わってくる。
Darden Schoolでは、入学直後のオリエンテーションで、「乗れなかった自転車に乘ろう!」と教えられる。
英語で言う議論とは、日本語のニュアンスとして口喧嘩に近い。
つまり、日本文化・日本語環境では、躊躇するようなことでも平気で反論する。
昔と異なり、最近の日本の学校では、「勇気を評価しない。」が、ここでは、反論する「勇気を評価している」。
クラスでは、周囲と異なった意見を述べると、クラス議論への貢献として評価する。
授業では、女子学生も、見上げたものである。
たいていの日本人女学生のようにイジイジなどしていない。
ロシアのウクライナ侵攻を契機にTVニュースで北欧諸国の女性の政治リーダーを何人も見たが、首相や大統領選で候補者が女性だとか、大きな話題にする国は、全く遅れている。
コロナ禍対策にしても、誰でも間違いを訂正することは、得意ではない。
国際社会では、根本には、資金の流れを止められないためであり、日本の場合は、政権内できちんと議論できないからではないかと思う。
ちなみに、日本では、一時、ゼロコロナを掲げる政党があったが、現在、聞かなくなった。
私が学んだ事実としては、
海水1ml(cc)には、1千万個、泥水1ml には、100万のウイルスが存在している。
人類が分かっているのは、10%もないようだが、分かっていることが一つある。
ウイルスは、摂取(食)せず、排せつもない。
そして、ウイルスは、生物ではない。(笑)
第4の権力と言われるメディアだが、最低限の指導で良い。
日本の政治に対してやって欲しいものだ。