Currency Mix for Green Chemistry II.

(Online出版 Physical Sciences Reviews journal/2022 Jan 28th;私の論文からの議論である。)

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19世紀初頭、アイルランドは、人口800万人であったが、1840年代に数年続いたジャガイモ飢饉で、150万人~200万人が餓死した。

 

加えて、約100万人が、国外に逃げた。

ことの始まりは、1845年、ジャガイモの病気だった。

 

註:ジャガイモ飢饉について(後段説明)

 

その後 英米他への人口流出が続き、1911年には、440万人にまで減少した。

 

多数の人口流出の原因となったジャガイモ飢饉は、ジャガイモの不作を知りながら英国の無策によるものとされるが、世界に与えた影響は、大きかった。

 

例えば、アイルランドからの移民は、米国の人口の1割以上を占めるようになり、ケネディ家、クリントン大統領、鉄鋼王カーネギーなど、米国での成功者には、苦難に耐え、努力する元アイルランド系の移民が多い。

 

アイルランドは、1921年まで英国の植民地であり、完全に独立したのは、第2次大戦後の1949年であったが、独立当初より、西欧で最貧の国とされてきた。

 

しかし、1973年、EUメンバー国となって以来、法人所得税を12.5%と低くすることで、外国投資を受入れ、1990年代、平均年率9%の経済成長を達成し、世界から注目を浴びた。

 

政府は、産業戦略をバックオフィス/ソフトウェア産業、そして、医薬品の2分野と決め、これら分野への集中投資も効果的であった。

 

特に欧州全体に働いていた元アイルランド人の多言語への即応体制が、アイルランドのバックオフィス産業の隆盛につながった、と言われている。

 

米マイクロソフト社などの欧州諸国への発送拠点や多言語に対応できるヘルプデスクをアイルランドに置いたのである。

 

かつては、元気で利発な子供がいたら、親が海外に巣立つことを勧めるような国柄で、村で秀才が出たら、村中で金を出し合い、首都ダブリンで教育を受けさせ、皆の希望をつないだ。(中国もそうだった。)

 

アイルランドが、2008年のリーマンショック後、欧州財政危機の震源地になったのは、

 

1973年、EUに入った後、

 

1999年、全11カ国(アイルランド、ベルギー、ドイツ、 スペイン、フランス、イタリア、ルクセンブ ルグ、オランダ、オーストリア、ポルトガル、フィンランド)で共通通貨のユーロを採用し始めたことと関係する。

 

それにより、資本移動の垣根がなくなり、欧州系の大手銀行やヘッジファンドが、アイルランドの銀行経由で大量のカネ(GDPの7倍)が入ることとなった。

 

私が、現地調査した2001年、海外投資で住宅ブームとなり、首都ダブリンの住宅は、5倍に高騰していた。

 

しかし、2010年、リーマンショック(2008年)の悪影響から、ローンの支払いの遅延が始まった。

 

アイルランド政府は、銀行への債務保証を行ったため、対GDP政府累積債務は、2008年の40%から2010年の80%となり、財政赤字は、EU標準:3%から32%へと悪化した。

 

対GDP政府債務% 1980-2018  アイルランド

出典 Central Statistics Office of Ireland data in Trading Economics


1990年代から2000年代前半での対GDP政府債務の減少は、住宅ブーム、盛んな企業投資による税収増のためと考えられる。

 

しかし、2008年頃からのリーマンショックで、経済全体が急に減速した。

 

経済の減速時に、アイルランド政府の要請を受けたEU/IMFは、2010年から、さらに厳しい政策を提言し、

 

アイルランド政府は、住宅ローンの利息上昇、3年間の過激な緊縮財政政策を実施して、2012年、政府累積債務GDP比は、120%へとさらに悪化した。

 

(IMFを含め、金融業者は、本能的に、景気が徹底して底抜けると、より大きな利益を得られることを知悉する。

 

また、戦争になると、両軍に高金利で資金を貸し、戦争を奨励しているように見える。それは、通常のビジネスの延長である。)

 

その結果、経済ブームから取り残されていた人々は、住居不足に悩み、ホームレス人口は、数年間で4倍、1万人に達した。


また、失業率は、リーマンショック前の5%から2012年16%に上昇した。

 

失業率 アイルランド 1998-2020

出典 Central Statistics of Ireland data in Trading Economics

 

EU/IMFの指導による緊縮財政政策は、失業率、政府債務GDP比などの点で、アイルランド経済をさらに大きく悪化させたのであった。

 

下図のように、GDP/capita など主な経済指標が、2008年、リーマンショック前の状態に戻るには、2016年までの約8年が必要だった。

 

GDP/capita (purchasing power parity) 1995-2019

出典 World Bank data in Trading Economics

 

政府財政を改善しようと、過激な緊縮財政をとると、本来、守られるべき雇用や住宅建設が抑制され、逆に大きな困難を迎えることとなる。

 

この時、公共通貨(政府通貨=資本通貨)の発行という手段があれば、政府の債務%の制限を受けないため、遥かに穏やかなソフトランディングが可能となったであろう。

 

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次のモンゴルの事例は、以下をご参照ください。

 
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前の事例は、以下をご参照ください。

 

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下記リンクは、2022年1月28日にOnline 出版された論文

 

註:ジャガイモ飢饉について:

 

始まりは、1845年、ジャガイモの病気だった。この年、ジャガイモの収穫が減ったため、人々は、種芋まで食べざるを得ず、1846年、翌年の作付け面積は、元の3分の1になった。

 

さらに、1847年には、種芋不足から、収穫が通常の5分の1になった。そして、翌年の1848年、さらに凶作でジャガイモが殆どできず、150万人の餓死者を出すこととなった。

 

宗主国であった大英帝国は、状況を知りながら、植民地アイルランドのための救済策を打たなかった。

 

背景には、大英帝国の支配層:イングランド人は、新教のプロテスタントが多い一方、旧教のカトリック系のアイルランド人を低く見ていた事実がある。