日本に限らず、どの国の大学の経済学部でも、従来、通貨制度については、深く研究しないことになっていたようだ。
山口薫(元同志社大学経済学部教授)のカルフォルニア大学バークレー校経済学部(1985年 Ph.D.取得)などでの経験を記している著書(「公共貨幣」東洋経済新報社発行)によると、
米国の経済学部の教授・研究者の多くは、通貨制度を研究すると、仕事を失ってきたようだ。
多分、この理由は、経済を一つの閉じられた均質な袋という前提で議論することが、学術的に正しいと考えられてきたからではないか。
しかし、経済の実体は、均質に、モノとサービス、通貨の動き、企業や人々の挙動があるのではない。
大企業、中小企業、個人、政府、公的機関、地方政府・・無数の異なった性質の経済的側面を有する組織が、活動しているのだ。
経済学では、数学関数で分析を行う際、均質な袋と閉じられた系という前提から外れると、きれいな論理になりにくい。
系外から、人間により恣意的に、通貨供給されるようでは、前提が定まらない。
(アフリカのザンビア経済の分析をした若い頃、世界銀行などの経済分析報告書は、外貨不足が慢性的問題だと、指摘していた。
しかし、外貨を稼げる肥料工場などの稼働率が、2割もないことを知り、愕然とした。
技術屋の私に言わせれば、マクロ経済の分析をする暇があれば、工場群の稼働率を上げれば良い。
化学プラントの改修や人材の訓練方法を知る私なら、1~2週間あれば、提案書ができる。
現場経験・実務経験のないエコノミストの提言は、数値を分析するばかりで、問題を固定化する。
実際、そのJICA調査の英語での提言のまとめは、技術者の私が、殆ど一人で行った。)
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現在の「中央銀行:一行」による通貨制度は、
欧州で17世紀以来、時間をかけて工夫されてきたもので、経済学者にとり、大前提を動かすことは、困るのだろう。
【日本では、実務的に各地方の経済状況を熟知できる地方銀行が、地方自治体と協力して、通貨発行すれば、地方毎の経済産業の維持発展ができる。
方法は、通貨発行して地方自治体に貸し付け、地方経済に混乱がないよう、適切に少しづつ、地方銀行が、債権放棄することだ。
貴方が銀行の支店長で、この方法に反対だとしたら、通貨の本質を理解していないためである。
貸し付けた時、銀行は、信用創造と言って通貨を創造している。銀行には、資金がなくとも、地方自治体の預金口座に数値を印字すれば、それが通貨だ。
その資金を使って、地方自治体は、毎年、例えば、計画的に地方の道路・施設・公園などインフラ・環境の整備を行い、公共事業として医療体制の維持管理、施設管理などを行う。
他方、銀行は、計画的に債権放棄することで、地方自治体の返済義務を免除する。すると、市場に通貨は、増加したままである。
地方銀行の役割の一つは、地域経済を豊かにすることであり、債権放棄は、その目的に合致している。
また、通常、債権放棄すると銀行には、損失が生じるが、自らの資産に通貨発行することで、損失をカバーする。
(手続きは、財務省の日銀の預金口座を使い、そこに信用創造して、財務省の管理下、銀行に入れてもらうなどである。)
企業が事業再生する場合、株主や企業から資金を受け、自己資本を増加(増資)して、債務を減らすことをDebt/Equity Swap(負債/資本の交換) というが、銀行内でそれを実施するのである。
この手続きに必要なものは、金融に関する新たな法規と地方自治体の意向、そして、地方経済を支援する地方銀行の意志である。
資金が十分に与えられた地方は、維持管理などの仕事が増加し、働く世代の収入になる。
つまり、地方経済の活性化が、起きるのである。
近年、特に疲弊する地方では、
お金にまつわる経済数値よりも、きちんとモノとサービスが提供されていること。さらに地方の鉄道などの事業採算より、若い世代が明るく、希望をもって生きることの方が、遥かに重要である。
地方銀行は、地方の経済を応援する立場にあり、地方での経済発展を望んでいるはずである。】
ところで、
私が学んだ米のビジネススクールでは、通貨について
副読本「Money」(Lawrence S. Ritter /William L. Silber著)を読むように云われた。
この本は、1970年の初刊だが、私が持っているものは、1984年、第5版(改定版)である。
Copyright © 1970, 1973 by Basic Books, Inc.:
Copyright © 1977, 1981 by Lawrence S. Ritter and William L. Silber
Fifth and revised edition copyright © 1984 by Lawrence S. Ritter and William L. Silber Printed in the United States of America
その第13章
[Should we worry about the national debt?]
(政府の債務を我々は、心配すべきか?)には、
「The National Debt Equals the National Credit」
「政府の債務は、政府の資産と同じ」とある。
この意味するところは、誰かが借金(債務)すると、借りた人のところに必ず、同額の預金(資産)ができるの意味である。
政府の場合も同じだ。
さらに、
Another favorite incantation (呪文) is equally false: the belief that increasing the national debt makes a country poorer.
「『政府債務が増えると、国家が貧す』というのも、同様に嘘である。」
Increasing the national debt, no matter how high, cannot in and of itself make a country poorer so long as it is owned internally.
「政府債務は、どれほど高くとも、国内で持たれている限り、国家が、貧したことにはならない。」
Nor does an increasing national debt, just because of its size, impose a burden on future generations. As long as the debt is held internally, neither the interest nor the principal represents a dead weight on the backs of our children and grandchildren.
「政府債務が増え、その金額が大きくなっても、将来世代に負担にならない。国内で債務が持たれている限り、政府債務の利息も元金も私たちの子供や孫の背中への負担にはならない。」
著者二名:Lawrence S. Ritter / William L. Silber は、ニューヨーク大学(私立)の教授である。
近年、「現代貨幣理論(Modern Monetary Theory)」の中心的提唱者とされる米経済学者ステファニー・ケルトン(Stephanie Kelton、1969年10月10日 - )も大学は、州立の方のState University of New Yorkの教授である。
過去数年、日本で驚きをもって議論されてきた「現代貨幣理論(MMT)」であるが、
MMTが出る以前、その基礎は、1980年代に出版されたこの本のように通貨について正しい内容が、著されていた。
特にこれは、新しい見方でもなく、通貨の本質を考えれば、誰でも分かることである。
簡単に言えば、通貨は、大きな機械に対する潤滑油の役割と同じで、経済活動がスムーズに回るよう、必要に応じて、国民経済に注入すれば良いということである。
国債発行は、通貨の増加により、経済がスムーズになるように潤滑油を追加しているということに過ぎない。
日本の経済学者らの怠慢は、ここに明白であるように思う。
とにかく皆で誠実に働き、そのため、政府予算を使えば使うほど、政府が貧乏になり(国債累積額=政府債務の増加)、将来に負担となるというのであるから、
日本の若者世代が、誠実に働くのが、馬鹿らしいではないか。
中に精神を病むものがいても、不思議ではない。
実際に正しくは、
「財政の赤字黒字に関わらず、政府予算を使い、国民が働き、様々の問題を解決していけば、国家は、金融資産の上でも、国土の強靭さの上でも、豊かに強くなる一方」
ということである。
上で「政府債務は、どれほど高くとも、国内で持たれている限り、国家が、貧したことにはならない。」が、
気になった方もおられると思うが、
「国内で持たれている限り」と言う意味は、「外国の通貨で借金していない限り」と言う意味。
と言うのは、
自国通貨でどんなに借金があっても、円通貨を政府(日本銀行により)は、いくらでも発行できるので、破綻しないことは、容易に理解できよう。
しかし、
外国通貨の借金がある場合、リスクとして、日本からの輸出などから得る外国通貨が、十分でない場合、返済できない場合があり得るということである。
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彼ら日本の経済学者、特に主流派と言われる経済学者の罪は、多くの日本の壮年・若者世代を落胆させてきたことにある。
2020年からのコロナ禍で、増加する女性や若者の自殺、この状況に適切に対処できていない日本の政治。
長らく15歳~39歳までの若者世代の死因の第一は、自殺である。
この責任の一端は、日本の経済学部の教授たちの怠慢、日経新聞に代表されるメディア、経済記事を寄稿するエコノミストにある。
近年、日本は、医学生理学物理化学など理系分野においては、米国に次いで、ノーベル賞受賞者が多い。
我国は、江戸時代の昔より、世界レベルの研究大国である。
ところが、経済学分野において、日本からノーベル賞受賞者は、未だに一人もいない。
高齢化社会で、日本国民は、意識・行動面で大きな特徴があるため、人類の未来を見た研究をすれば、世界の注目を集めるだろう。
しかし、ここで指摘している問題は、日本人のノーベル賞受賞者が出ていない程度の軽い問題ではない。
私が計算したところ、過去20年間だけでも、日本経済が失った累積GDPは、少なく見積もっても、2000兆円に届くありさまである。
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以下の問題で考えてみていただければと思います。
【例題1】
毎年、洪水で苦しむ村があるとします。
農民をまとめる庄屋の人達は、藩主に対策工事を提案します。
この工事には、4ヶ月間、日々300名の労力が必要ですが、藩には、土木技術、農民には、十分な労力がある状況です。
しかし、お金の貯えの乏しいこの小さな藩の藩主は、どうすれば良いのでしょうか?
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【例題2】
この社会には、高齢者、病人、障害者、さらにNEETなど様々な理由で働けない人たちがいます。
このような人達は、私たちの経済社会に無駄な人たちでしょうか。
経済的に無意味な存在でしょうか。
回答は、追加の2問題を含め、以下をご参照ください。