我々日本人は、第2次大戦の敗戦によって、一民族として誇りを失わされたように言われることがある。

 

(ただ、武道は、戦後、数年間、禁止されていたが、鹿島神流の国井善弥のように、アメリカ兵と戦い、日本武道の素晴らしさで驚嘆させたエピソードがある。)

 

 

しかし、私の個人的体験では、戦後、技術分野で指導に来た米国人技術者から、「日本人技術者の優秀さに、実に驚いた。」という経験談を聞くことが、何度もあった。

 

しかし、60歳代の私の世代より上の日本人が、誇りを取り戻したのは、多分、1979年、ボーゲル氏(ハーバード大学教授)の著書:”Japan as No.1”からではないだろうか。

 

この頃、国境を超えて、強い競争力をもたらした 日本的経営(Japanese management)が、国際的に脚光を浴びた。

 

1980年代、欧米を旅した上司は、「世界に日本さえなければ、俺たちは、安心して眠れるのに。」という冗談めいた非難を聞くことがあると話した。

 

一方、韓国はどうだろうか。

 

彼らは、国際的には、「漢江の奇跡」などと戦後の急激な経済発展を語る。

 

しかし、この「漢江の奇跡」は、日本経済産業の余波を活用したのであって、自国民の努力と知恵だけで成し遂げたとは、彼ら自身も思っていない。

 

韓国人の言動を見ると、しばしば「誇りのない民族」と感じるからである。

 

例えば、最近(2016年10月以降)の朴槿恵大統領への抗議のため、100万人を動員するデモは、どのような心境なのか?

 

彼女には、悪い点・不適切な行為があっただろう。

 

しかし、彼女の良い点を見て、大統領に選んだのではないか。

 

不適切な行為があったからと言って、彼女の全ての良い点が消えるわけでもないだろう。

 

歴史を見てはどうか。

 

第一に戦後の韓国大統領らの末路を、下記のように

殆ど、亡命・死刑・懲役刑・自殺などに追い込んでは、まともな人は、大統領になれないのではないか。

 

初代〜3代 李承晩(り・しょうばん) ハワイに亡命

 

第4代  尹潽善(ユン・ボソン) 軍事クーデターで辞任

 

第5〜9代 朴正煕(パク・チョンヒ) 友人の恨みで暗殺

 
第10代 崔圭夏(チェ・ギュハ)軍事クーデターで辞任
 
第11〜12代 全斗煥(チョン・ドゥファン)
                                                無期懲役 ⇒死刑
 
第13代 盧泰愚(ノ・テウ) 懲役刑(のち特赦)
 
第14代 金泳三(キム・ヨンサム) 次男が収賄脱税で逮捕
 
第15代 金大中(キム・デジュン)(死刑宣告)
            子息3名不正蓄財で逮捕
 
第16代 盧武鉉(ノ・ムヒョン) 飛び降り自殺
 
第17代 李明博(イ・ミョンパク) 兄が斡旋収賄で逮捕
 
第18代 朴槿恵(パク・クネ)職務停止罷免、退任後起訴
 

朝鮮民族とは、李王朝の数世紀にもわたり、何度か日本の灌漑のための水車を見て、国として設置すべきと決めても、自前で水車の製造・設置ができなかった人々である。

 

朝鮮の女達が、頭にものを載せて、ものを運んでいたのは、車輪(わっか)を製造できなかったからである。

 

その理由は、一つでも悪い点があると、その事象に関しての全てを悪いと決め付けるからではないのか。

 

朝鮮民族の考え方には、

日本の諺で言えば、「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」という「属性基準」があり、一点でも悪い点が認識された人物や事象を、ラベルを張り付け、全否定する。

 

思考全体が、属性基準なのだ。

 

(女性は、従順でなければとか。xx大学卒は、ダメとか。人の属性だけを見て、決めつける思考方法を【属性基準】と言う。)

 

例えば、どこで生まれたか、氏素性が良くなければ、それだけで全否定される。

 

だから、日本では、多くの(元)韓国人の女性が、水商売などで楽しく働いている。

 

彼女らの幸福は、日本社会から得ている。

日本には、彼女らの離婚とか、婚約経験とか、過去のことで、見下げる日本人は、いないためである。

 

戦中の従軍慰安婦も同様だ。

 

進駐先で、兵隊により女性がからむ事件を防ぐためには、日本からも日本人慰安婦を送ることが必要だった。事実、慰安婦の8割は、日本人女性であった。

 

それは、皆から賞賛されるような仕事ではないが、必要であるが故に、日本では、彼女らに、頭を下げて見送る老人もいた。

 

日本に帰国後、彼女らは、過去は問われない。だから、元日本人慰安婦は、いつまでも泣き叫ぶ必要がない。

 

韓国人の元慰安婦が、韓国で不幸だったのは、韓国社会の問題なのだ。

 

慰安婦として、立派な家をいくつも買えるほどに富を得たことに対する強烈な周囲からの「妬み(ねたみ)」である。

 

逆に言えば、この点を直さなければ、彼女らにどんなに日本の政治家・元首級の日本人が謝罪しようと、彼女らの不幸は、続く。

 

分かるだろうか。

直すべきは、日本人でも、慰安婦でもなく、韓国人の多数が有する基本的な思考回路なのだ。

 

彼らの「全否定哲学」では、経済発展に必須の、日本が得意の「カイゼン」は、起こり得ない。

 

一点でも悪いと、毎回、ご破産(ゴハサン)・全否定で、複利的な蓄積効果がないためである。

 

(このことは、ソ連やアジアの共産主義指導者と同じである。

 

毛沢東の治世中、中国人民6~8千万人が殺害されたが、資産家や知的階級の祖父母を、孫たち世代が批判したためだ。

 

資産家や知識階層の祖父母を殺害しないと孫たちの命がなくなるためである。

 

カンボジアのポルポトも同様、彼は、自らの知的劣等感から知識階層の人材を徹底して殺害した。

 

これら蛮行の基礎には、【属性基準】という思考回路がある。)

 

韓国を健全に発展させたいと考えるなら、悪い点と良い点を厳密に分けて考え、悪い点を直し、良い点をさらに伸ばす「価値基準」的な考え方を持ち込む必要がある。

 

それには、感情を廃し、怜悧な論理性が必要である。

 

一部でも良い点(社会的に価値)があれば、それを育てていく長期的な哲学が必要なのだ。

 

余計なお世話だと言われようと、

仮に上から目線と言われようとも、日本人の我々は、このことを指摘しなければいけない。

 

韓国社会の底流に、現在も流れるこの不健全な「妬みと恨の哲学」を直さない限り、日本との関係でも将来展望は開けない。

 

自らを愛することのない民族を、外から支えることはできない。

 

必要なのは、

「自らを愛する意思と姿勢」なのだ・・。

 

(生まれた赤ん坊が、どのような状態であれ、母は、赤ん坊を抱き、語りかけ、授乳する。そこから考えてはどうだろうか。)

 

ご参考: