「お祭りワイガヤ選挙」の提案

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1.  政治家の質低下の状況

日本は、戦後の長い期間、経済一流、政治三流と言われてきたが、最近は、ますます政治家の質が下がっているのではないか。

 

2011年の3.11(福島原発の事故)では、国民だけでなく世界中の人々を不安のどん底に突き落とすこととなったが、

 

その後も、日本の首相が、海外の新聞で「Loopy 間抜け」と言われたり、2014年、地方議員の中には、政治活動費の架空請求問題で大泣きのパーフォーマンスで「国辱」と言われるものまでが出ている。

 

大阪市長が、アジアの国際会議に出たら、多数の政治家の中で、自由に英語会話ができないのは、日本人の自分だけだったとかで、

 

帰国後、自分の不勉強を棚に上げて、日本の英語の先生のためだと言い出す始末である。

 

XX党だからという問題ではない。

 

むしろ、私は、日本の選挙制度の構造上の問題だと考えるのである。

 

現在の状況を上げてみよう。

 

1家業(生活者)としての政治家が多数となり、世襲議員という意味では、フランスの哲学者ルソーの言う「最悪の状況」となっている。

 

.ビジネス、言い換えると産業経済での実務家がいない。

 

(能力があり責任ある仕事のできる人物は、立候補しない。最近は、メディア向けに他の政治家や行政組織の悪口を言う人物が多いが、他を貶めることで権力を保つ手法である。)

 

まず、1.について。

 

悪例は、議員の退任に伴い、親戚の中から社会経験のない失業中の若者が担ぎ出される場合である。(現在、45割の国会議員は、縁戚から票田を譲り受けているという。)

 

このような人物は、選挙で勝つ術を指導してもらい、路上や駅前で叫び、誰とでも握手をして政治屋になる。実務経験はなく、空疎な言葉の羅列で知名度を上げる。仮に主張らしきものがあっても、選挙民の多くは、内容まで聞いてはいない。国会議員でも、英語どころか日本語も書けないものまでいると言われている。

 

一般から人材を広く求める政治塾も盛んになっている。

 

しかし、主催者は集金、集客目的なので、学習内容は、選挙の手法(演説や宣伝方法)が主で、経済、産業、外交、軍事、アジア諸国や世界情勢について深く勉強しているわけではない。しかし、彼らを責めるのは、間違いである。選挙制度からの当然の結果なのだ。

 

つまり、我が国には、政治家人材を育てる、人財を見つける制度がないのである。このことは、現代社会が、産業の多様化、技術・学術の高度化、経済・金融のグローバル化、国際政治で扱うべき範囲の拡大のため、一通りの勉強だけでは、正しく判断できるように、ならないから、なおさらのことである。

 

.について。

私が、政治家秘書経験者などから聞いたところの立候補者の人物像を見てみよう。

 

戦後、日本国民皆が飢えていたような状況では、

「日本を一流国に再建したいという人財多数が立候補した」ことは、間違いないだろう。

 

今でもそのような人物がいることは否定できない。しかし、政治家による悪口合戦、党利党略ごっこの環境では、優れた人材が顕在化しない。悪貨が良貨を駆逐するからだ。

 

現状では、政治家になれる「人物の要素として自己顕示欲が強い」ことが、重要だという。

 

ただ、これは仕事の能力とは直接関係がないため、問題とすべきではないだろう。むしろ、最大の問題は、以下ではないかと思う。

 

「組織でそれほど責任は負わされておらず、立候補の意思にも組織が引き止めなかった」こと。つまり、組織の中であまり役立たない人物が、立候補するのである。

 

先の例。就職もアルバイトもせずにいたが、叔父さんの議員退任に伴い、取り巻きから支援を受け立候補するケースもその例である。

 

問題は、実務面で役立つ人物が、ほとんど立候補しないために、有権者の選択肢が非常に限られることである。現状では、常識的な判断力を持った人物、特に組織や社会で認められている人物は、キャリア上も時間的にも経済的にも、バカらしくて立候補しないのである。

 

 

 

次に続く。

2.「お祭りワイガヤ選挙」:二つのポイントと概要