世界中、どのような民族、人々でも、血縁、地縁、学校、会社、業界、人種、宗教など、共通の基盤をもった人間同士が集まり、親密なグループを形成し、思考が内向化し、「人基準」になる傾向があります。

「人基準」になると、人間が持つ属性(性別、年齢、地縁、血縁、出身、学歴、社歴、人間関係など変えられない要素)ばかりが重要視され、組織やグループが対外的に有する本来の目的が、軽視されるようになります。

この傾向が高まると、意思決定や組織行動が不健全となり、グループ、組織、社会にまで大きな禍根を残すことがあります。

企業の場合は、大組織となった後になっても、創業者一族による閉鎖的人事、学閥、互恵取引による効率の低下など、最後には、破綻の危機に陥る場合もあります。

残念ながら、日本は、「人基準」のかなり強い国です。

 

組織内外で人間同士が内向化する傾向が強く、結局、耐震性の偽装、食品偽装、品質偽装などが絶えない国になっています。

封建的な考え方で、若い自分は、意見を出すべきでないとか、まだ、若いのだから、管理職には不向きだとか、言われる場合もあります。また、仕事に自信のない年配者ほど、「仕事基準」よりも「人基準」を好み、組織全体を「人基準」に引っ張ろうとします。

人間にラベルを貼り付け、肩書きでしか見ない「人基準」、人間を学歴や男女の性別、年齢を強く意識して見る「人基準」。

「人基準」は、人を年齢、性別、学歴、肩書きなどの人の属性で、評価して報酬を決めます。評価や報酬は、人間の深層心理に影響を与えるため、契約社員とか、パートと言うだけで、報酬に2倍、3倍の差をつけることが、当然となります。

人間の属性は、全てが、過去のことであり、多くが、自分の努力では変えることができないものです。

逆に、それらラベル(△△大学卒、公務員試験合格など)を手に入れている人間は、ラベルが評価されると感じると、努力が、おざなりになるのです。

人種差別、男女差別、さらに、不当な手段で人間関係を作ろうとする賄賂などは、「人基準」社会の悪い側面ですが、我々の社会をもっと明るく、元気にするために、「仕事基準」という概念が、日本の社会全体に広く知られるようになることを望んでいます。


渡辺穣二 
http://iedi.org/across/