
社員Nは、毎日、とある取り組みをする決まりになっていた。
ところが、最近はあまりに多忙なため、このアクションが滞りがちに
なっていた。
当のNとしては、やりたいとも思っていたことであり、
また、必要なことだとも思っていたのだが、なかなかうまく回すことが
できなくなっていた。
この状況を知った、マネージャーSと、おなじくマネージャーのYは、
Nに対して、「無理ならやらなくてもよいのでは?」と声をかけた。
多忙なNには負担が大きいと考えたのかもしれない。
しかし、Nとしては悩んだ。
悩んだNは、マネージャーよりさらに上位の社員Tに相談を
持ちかけた。
NはTに対して状況を説明して判断を仰ぎたかったようだ。
そのTは、辛抱強くNの話を聞いた上で、次のように答えた。
「それをやめるとするならば、キャパシティオーバーか、やる意志が弱いかの
どちらかだよね。いずれにせよ、やる、やらないは自分で判断していいよ」
Tは敢えて判断を下さずに、悩めるNの話を聞いた上で、
N自身に判断をさせたのである。
結局、この件に責任を持っているのはNである。Nが判断するしかない。
しかし、Tの指導が優れているのは、最終的に自分が判断しないにせよ、
Nの話をじっと聞いたことである。
これで、Nは自分がどちらの判断をするにせよ、Tに一任されている、
という安心感を持つことができるだろう。話を聞かずに「好きにしなさい」と
伝えるのとでは大違いである。
答えをただ与えるのが指導ではない。
部下にできる判断は部下にやらせること。またその際に、話だけは
じっくりと聞くこと。これがより包容力のある指導ではないだろうか?
以上
