愛
私がまだ若い頃母は父に何かを伝えた父はそれを聞き華奢な母の顔を思いっきり、感情のまま殴った。。私はよくよくおもうのだ‥悪いのはむしろ母だった。女特有の言葉の刃で母は父を斬っていたそして父は男特有の体の刃で母に切りつけた。。しかしもんだいは母の言葉の暴力は私には全く分からなかった毎日のような母のヒステリーなら十代の私にでもよく分かったのであるその時、母はたぶん、愛情のない言葉を放ったのだよくよくテレビのニュースで恋人同士、夫婦同士、家族同士での殺人が取り上げられている加害者は殺した側。被害者は殺された側。。罰を受けるのは殺した側。‥‥‥‥‥……………果たして悪いのは殺した側なのだろうか??私の家庭は少なくともあの時、父が母を殴っていなければおもいっきり!…殴っていなければ‥うちは家庭崩壊をしていた。そこにはアリッタケノ愛情があった‥華奢な母をおもいっきり殴った父の拳にはナゼか真っ直ぐな思いがあった子供心に、ナゼか、そのショッキングな出来事は‥‥歳を重ねるにつれソレがなんだったのかが薄々と分かってきたのである力の暴力と言葉の刃はなんら変わらない。むしろ形の分かる傷は形のある薬で治るが形のない言葉や身勝手な行動の暴力でつけられた見えない心の傷は治りが異常に遅いばかりか一生治らなかったりもする。。そしてソレを治す術を知るにはそれ相応の人生経験が必要なのだ‥なのだから私はストレートなキモチをだいじにしようと思ってるだけれど一生、一人の人に添い遂げるにはストレートなやり方だけではままならないのだ母の言葉は愛情のSOSでそれを父は受け止められていた。私は父も母も嫌いだったのだが母とは修羅場になってから仲がよくなったほんとうによくなった。以前は全くしなかった男女の話もするようになった(笑)だけれど父とは疎遠である。私には父のコトはやっぱり理解できずなんだかんだ思ってはいてもやっぱり分からない存在なのであるただ、愛は単純なのだいろんな情が湧くか湧かないか?ただ、それだけである。