俳優の保坂尚輝さんの著書「理由」を読みました

保坂さんは、7歳の時に両親を自殺で亡くしていることを知り

さっそくamazonで注文してしまいました



僕も父親を5歳の時に自殺で亡くしています

結局、両親で子供の奪い合いになり

母親が子供全員を連れて家出したのですが

後で父親が僕だけを奪ってそれきりになりました

でも、その数年後に父親は自殺してしまいました...



自分の周りにこういう経験をされている方がどれだけいるのか

全然分からなかったのですが

保坂さんは割と近い経験をされているようで少し安心しました

なぜなら、父親にそのような死に方をされて

自分もそうなってしまうのではないかという漠然とした不安が離れなかったからです

だから、どうしても同じ様な経験をした方が、出世して家庭を持たれている事例が欲しかった

自助グループとか自死遺児の会とかに参加すれば良かったのかもしれませんが

中々、勇気が出ませんでした

この本に出会えて良かったです

保坂さんも、どうして自分の両親が自殺してしまったのかいつも知りたかったと記述しています

それで、出家してお坊さんになれば、死者との交信ができるのではないか

お坊さんになって、自らの手で両親を弔ってあげたい

そういう思いから、仏門に入ったらしいです

僕も仏教にはとても興味があります

どうして興味を持ったんだろうと考えると

やはり、父親が亡くなった葬式の時に、仏様の前でこの世とのお別れ会をしていた姿を見たからなのだと思います

自分の過去を話せる人間も中々いないものですし

日本が自殺大国になったのも、ここ数十年の話です(切腹は昔からありましたが...)

幼少期に親を自殺で亡くした人が、どのような人生を歩むべきか

それを知りたかった

この本に出会って、まずはそのような人でもきちんと家庭を築けて

自分の宿命とうまく折り合いを付けることが出来るのだと思えるようになりました
110番する前に119番なのでは?

あ、そっか。

「119番があった」と表現すると、医療機関からの情報になるから

記者が病院で待ち構えてることになるなぁ

でなければ消防署から直接情報が流れていることになる

それは問題だ!

ということで、警察署からの情報ということになるから110番なんだな

警察署も身元を調べる上でメディアの力を借りたいということか

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15日午前9時半ごろ、宮崎県日向市東郷町の国道327号の八重原大橋付近で、車が転落していると110番があった。

 日向署によると、車に乗っていた女性3人のうち2人が心肺停止状態で、1人が重傷を負った。

 日向署は身元の確認を急ぐとともに、事故の状況を調べている。(共同通信)
こういうテーマが大好きなんです

独り言、行きます!



宇宙の始まりと終わりは、同じであるという仮説

「私たちは時間の流れの中にいる限り宇宙の始まりを経験することはない」

このことは、時間の流れが一方向にしか流れていないという前提から出て来る考え

いいえ、僕たちは宇宙の始まりを経験することができるんです



僕は前から、歴史学者にとっての未来とは一体何なのだろうかと考えていました

歴史学者とか考古学者は、発掘された歴史的遺品だとか事実間のつじつまが合うかどうかで

仮説としての歴史を事実として認定しています

ということは、歴史学の未来とは過去を明らかにすることであります

過去が明らかになる未来を追い求めているのです

非常に違和感があります...

では、その究極である宇宙の始まりを目指しているとします

ここまでくると宇宙物理学者になってくるかもしれませんが

ある意味では宇宙物理学者も歴史学者も大差ないのかもしれません

(ただ、科学者には現象の再現性という前提があるので一概には言えませんが)

もし、宇宙の始まりを突き止めることが歴史学最後のテーマであるなら

歴史学の未来は宇宙の始まりを突き止めることで終焉を迎えます

歴史学がなくなれば、歴史学者、考古学者がいなくなります

これらの学者がいなくなれば、歴史を記憶する人間はいなくなり

彼らが残した学術書だけが残ることになります

そして、時代とともにその学術書を解読できる人間もいなくなり

人類は人類の歴史を淘汰することになります

何も覚えていない人間は、未来を予想することも出来ません

なぜなら未来は、過去の記憶によって作り上げられているからです

このことは未来の終焉を意味します

僕たちが未来を思い描くことができなくなったとき

その時こそが、宇宙の終わりです...



というなんとも夢のない結論が出てきます

それが本当かどうかは別として

これでは明日を夢見るどころではありません



ではどう考えるか...



「時間は過去と未来に同時に広がっている」

と考えるべきです

しかも、今この時を出発点にしてです!

今、この時こそが宇宙の始まりなのだと考えるべきです

そうすれば、未来(と呼ぶべきか...)は無限大に広がります

しかも、その宇宙の始まりの躍動感を僕たちは常に感じることができるんです!

毎日の出来事が新しく見える

これは素晴らしいことですね!



人間の印象が第一印象で決まるというのも、何かなっとく出来る様な気がします

アイディアが常に、人間と人間の話し合いの結果から出て来るのも納得できます

証拠の無い嘘が事実として語り伝えられていく理由も納得できます

精神医学においてカウンセラーとクライエントの双方から多角的に認識されたものを
新しい過去の解釈物語として作り上げていく方法が採用されているのも納得できます


宇宙は今このときから始まっているんです

人生はいつ何時からもやり直すことができる

だって、宇宙は今このときから何度も何度もやり直し続けているのだから
今日は「え」だ

え~っと(笑)

◯「絵」

最近、絵を描いてないなぁ

別に得意じゃないんだけど

風景画でも描いてみようかなぁ

人間を描くのは苦手だけどね

◯「えら呼吸」

有吉がスマップの草薙剛のあだ名を「えら呼吸」と付けていたな

◯「X-ファイル」

あの映画、ドラマ、結局最後はどうなったんだろう

◯「えろじじい」

それは僕のことかもしれません

◯「宴会」

飲み会最近行ってないなぁ...

◯「えのきだけ」

「えのき」「しめじ」「まいたけ」「まつたけ」「マッシュルーム」

たまに頭がこんがらがる

どれがなんだっけっか...

◯「襟」

高校生の時は、体操服の襟を立ててたなぁ

何であれがかっこいいと思ってたんだろ...

◯「エリマキトカゲ」

そんだけ伸ばすなら、飛んじゃえ

◯「エンスージアズム」

情熱、神がかりの状態

◯「遠近法」

立体に見える平面絵ってあるよね

あれも遠近法?

◯「エメラルドグリーン」

ああ、いいなぁ

大好きな色

◯「餌付け」

カラスに餌をやるのはやめましょう

奴らの進化はいずれ人間を脅かすことになるでしょう

どこかの生物学者が

現代では、進化の過程で一番ホットな淘汰の対立は

人間とカラスだそうです

カラスの脳は他の鳥の何倍も大きいそうです

人間の進化スピードを上回っているかもしれません

◯「鉛筆」

最近、ボールペン、シャーペンばっかり使ってる

鉛筆の良い所は、角度によって太さが変えられる所です
認知症の高齢者を狙った商法であると言えるが

どの事例も、高齢者が1人で家に住む事例ばかり

むしろそっちの方が問題ではないのか

認知症の発症を防止するのは、何よりも他者とのコミュニケーション

核家族化と地方の連帯意識の低下が招いた必然の様にも思う

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 認知症などで判断能力が低下した高齢者の消費者トラブル相談が、2013年度に初めて1万件を突破したと国民生活センターが発表した。健康食品の「送りつけ商法」が急増しているという。相談の約8割は家族などからで、本人が気づいていない被害が埋もれている可能性がある。

 全国の消費生活センターなどに寄せられた相談を集計した。それによると、認知症などの60歳以上の人に関するトラブルは1万1499件を数え、過去最多だった前年度(9643件)より1856件増えた。このうち健康食品の契約トラブルは3133件を数え、前年の倍近くだった。

 今年度のデータ(7月末までで2534件)も加えて分類すると、本人からの相談は17%にとどまり、8割超は家族やヘルパーなどからだった。「認知症の母親が電話勧誘で約5万円の健康食品を購入していた。母親は電話を切ると話したことをまったく覚えていない状況だ」「母親の家に大量の羽毛ふとんが置かれていた。訪問販売で10件以上契約させられていた」といった相談事例があった。

Googleニュースより
今日は「う」だ

◯「うれしい」

最近、うれしいことあったかな

ブログにコメントを返してくれた人がいたことかな

ブログ読んでる人って結構いるんだな

◯「うし」

この間、近くのお店で「牛カルビ丼」を食べた!

炭火焼で、トッピングでマヨネーズまでかけちゃったり

+50円の安さでメロンソーダ付けれるし!

至福のひと時でしたなぁ

◯「宇宙」

「う」は「宇」の漢字からきてたはずだから、まさに宇宙だな!

実は大学で物理学をやっていた人間なので、宇宙大好き人間なのです

というか深い所とか、吸い込まれそうな所とか好きなんです

深海とか洞窟とか...海底洞窟とかしびれるね

宇宙もしびれるけど

最近、しびれたのが、セノーテって所

どこだったかな、森林地帯に海底洞窟が無数に空いている所で

ダイバーの聖地らしい

宇宙も行ってみたいけど、セノーテも行ってみたい!

◯「うに」

北海道の礼文島のうにを食べた方をいるだろうか

僕は数年前に礼文島に一泊で旅行に行ったことがある

その時は民宿に泊まったのだが

朝ご飯に、今朝取れたウニが生で出て来た

宝石でした...

◯「うどん」

四国のうどん屋さん行ってみたい

さぬきうどん

おいしいだろうなぁ



「う」はこのくらいでいいかな

ではまた
今日は「い」だな

「い」かぁ~

最近、胃がもたれてるなぁ

食べ物が悪いのかなぁ

飲み物が悪いのかぁ

食べ物、あんまり選ばない人だから、何が原因か分からない

ストレスかなぁ...

ストレスが胃に出るタイプではないんだがなぁ...

どちらかといえば心に出るだけどなぁ~(苦笑)



「伊」だと「伊達政宗」!

「医」だとお医者さんだな

「慰」だと慰安婦問題??

まぁ、余り難しく考えるのはやめよう



今日は「い」でした

ではまた
「人生の意義、宇宙の意義」のタイトルだけど

実は前回の「何のために生きているのか」の続きです...

長いですが、読んでくれたら嬉しいです




ここからは目的もなく僕の人生観がどのような風景になっているか示そうと思う

なぜなら、人生の目的を問いつめれば、最終的に手段と目的の融合が起きるからだ

つまり、生きている事自体が素晴らしい、楽しいという結論に至るのだ

問題はそこに至る過程である

それが人と違っているからこそ、僕はブログに書く訳だし、他者の人生観を認識できるのだ


どこから書いていけばいいか...キーワードは何個もある

ではキーワードを並べてみよう

多様性、空(仏教)、仏、神、天、中論、法則、宇宙、エントロピー、微分、積分、等号(=)、感情、潜在意識、瞑想、認識、意識、経験、理解、共有、目標、目的、手段...

まだ他にもあるけど、思いつくぐらいだとこれくらい

僕は仏教が好きなので、「仏」から出発しようか


仏教には色々な宗派(浄土宗とか、日蓮宗とか...)があるが、大本を辿ればお釈迦様一人に行き着く

お釈迦様が説いた一番の教えは、何と言っても

「人生は苦である」

ではないだろうか?

その他にも色々大事なことは述べている(縁起の概念など)が

苦をどのように認識するかで苦しいことも苦しくなくなると言っている

人生は苦であるのだから、苦はなくならない

しかし、苦に対する人間の心構えはいくらでも変えられる

その心構えを変えられない状態を、仏教では「煩悩」と呼ぶ

その「煩悩」を吹き消すことが出来ない原因を「無明」と呼ぶ

無明とは、正しい判断が出来ずにいる状態を意味する

また逆に、その煩悩から解法され苦が消滅した状態を「涅槃」と呼ぶ

つまり、仏教の目的は「涅槃」の状態を目指しているということになる


さて「涅槃」とは何だろうか。

僕はずっと前からこの意味が判らなかったが

最近「死と愛」という精神科医のV.E.フランクルが書いた本を読んだときにピンと来ることがあった

それは「涅槃とは内側から見たエントロピーである」という文だ

エントロピーとは物理学用語であり、物事の複雑さ、乱れ具合を表す物理量である

つまりエントロピーが増大する程、物事は複雑に乱れているということ

そして、エントロピー増大の法則という有名な法則があるが

これは、「あらゆる物理現象はエントロピーが増大する方向にしか進行しない」というもの

例えば、容器に入った常温の水に熱い熱球を入れた場合

熱球による水分子の振動は熱球を中心に広がり、容器の水は一定の温度に落ち着くが

逆に、その温まった状態から、熱球に熱が戻っていくという現象は起こり得ないということ

この熱の広がり具合をエントロピー量で表すと、増大する方向にしか現象は進行しないというのである

実は、このことは宇宙現象にも同じことが言える

宇宙は膨張しているというのが、現代の宇宙物理学の常識であるが

これは同時に宇宙全体のエントロピーが増大する方向に宇宙現象が進行していることを意味している

さて、ここで「涅槃」の話に戻るが

「内側から見たエントロピー」とはつまり意識空間から見た物事ということだ

では、外側からみた涅槃とは何か

まさに、エントロピーが増大する宇宙現象そのものだ

ということは、「内側から見たエントロピー」とは意識空間内におけるエントロピーの増大を意味する

ということは、仏教はこの意識空間内におけるエントロピー増大を目指しているということになる

これは何を意味するだろうか

実は、最初の方で述べた「多様性を拡げる」という人生の目的と関連して来る

エントロピーが大きいということは、多様性が高いということだ

このことから、仏教的な見地からも、人生の目的として「多様性」を取り上げる意味が分かって貰えると思う


ところで、仏教には悟りの境地を端的に表現する言葉として「空」という概念を用いてる

原因と結果の縁起の法則からしても、物事には原因と結果しかないのであり、何か特定の実体が存在しているわけではなく、どこまで細かく見ても、原因と結果の相互作用しか存在していないということから、この「空」を究極の法則として位置づけている

この「空」の概念、もともとはインドの僧(龍樹)の「中論」によって提唱された概念だが

考えてみるとかなり深い

どこかの学者がこんなことを言っていた

「空の概念は、あらゆる言葉の抽象化を行ったその極限に位置する概念です」

例えば、パグとか、ダックスフンドとか、セントバーナードとか言うと、みんななんですか?

答えは「犬」ですね

では、犬、猫、馬、羊、猿、とか言うと、みんななんですか?

答えは「ほ乳類」ですね

では、ほ乳類、は虫類、昆虫とか言うと、これらは「生物」ですね

生物、無生物となると、「自然」になるんでしょうか?

もっと、抽象的に捉えると「現象」とか「存在」とかになりますね

その抽象化の極限が「空」であるというのです

おそらく、最後は「有」と「無」の抽象化を行ったのかもしれませんが

「空」とは決して「無」を意味するのではなく、ありとあらゆるものを包括した定義なんです

そして、仏教ではこの空の境地に達すると「慈悲」の精神が生まれると説きます

「慈悲」とは文字通り相手に対する慈しみの心ですね


なぜ「慈悲」の心が発生するのか? これも考えてました


その答えは、他者に対する共感力の究極が「空」によって得られているから「慈悲」が発生するのだと分かりました

共感力とは、相手の立場に立って、自分がその人になった様に考える力ですが

この力に必要なのが、広くて深い「経験」と「知識」です

つまり「空」によってあらゆる物事を認識できる様になった人物は

目の前にいる人間のことなど、完全に自分に投影することができるということです

(そりゃそうです、宇宙を見渡せている人なんですから)

だから「慈悲」が生まれるのだなぁと今は納得しています

そしてこの「慈悲」の境地とはエントロピーが最大限増大した「涅槃」の境地であることも納得できます


まとめると

空の境地と涅槃の境地は、煩悩を吹き消した苦のない境地

これらの境地は最大エントロピー状態で、全事象に認識が渡っている状態

この空の境地に至ることで慈悲が生まれる

慈悲により目の前に人間の気持ちが理解できる

そして、人に尽くす人間になる

という流れになる



では次に「神」のキーワードから出発してみよう

神と言っても色々ある

キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、神道など...

一神教であれ、多神教であれ、僕にとっちゃどっちでも良い話

僕は、神様というのは、仏様が自然現象を通して世界に影響を与える力の現れだと認識している

つまり、法と力、仏と神という対応だ

これは法華経の如来神力品に出て来ることだが、如来の神力という概念があるが、仏様(別名:如来)が神様の形態を持って、悩める衆生を様々な方法で救うというイメージだ

この様々な方法を持って衆生を救うというのは、法華経全体で一貫して言われていること(観音菩薩など)だが

何かある一定の形を持たない存在があって、それが時代と場所に合わせて適切な姿になって現れるというものである

中には、全く真逆の姿(天使とか悪魔とか?)となって現れる場合もあるという

僕はこの法華経の考え方が好きだ

南無妙法蓮華経とか南無阿弥陀仏とかで、日蓮宗と浄土宗が対立していた時代もあるが

これらも同じで、どちらも人々を救う道のりであることに違いはない

山の頂きに至る道がいくつもあるのと同じだ


仏教の話になってしまった...


でも様は、色々な神様がいたとしても、それらは時代と場所によって適切な教え方がなされているのであり、その表現方法(The God, アラー,アマテラスなど)も異なっているということだけだ



神と仏の関係について述べた

最後はこれらと人間の関係を述べてこのブログは終わりにしたい

「人間とは何だろうか」


僕の答えは「人間とは橋である」


が今のところしっくり来るかな

この「橋」と表現したのは、実は先ほど述べた「空」の言い換えである

「空」と言った所で、伝わりにくいから敢えて「橋」と表現している

なぜ「橋」か?

それは「空」のイメージをよくよく考えるそういう風になるからだ

空とは空っぽの意味、空っぽということは、空っぽにさせる何か外的要素が必要になる

それは何か、「容器」だ

容器がないと「空っぽ」にならないのだ

僕はよく思うことがある、タンスとタンスの間に空間があったとする

この空間には空気が充たされているとはいっても、他に何もない、空っぽである

しかし、この空間はタンスが2つ並んでないと生じないものだ

果たしてこの「空間」は「存在している」と言えるのだろうか?

確かにタンスは存在している

しかし、空間が存在していると聞いても、実際見てみると違和感を感じる

有るわけでも無いわけでもないのだ


そこで思った


人間も同じではないのか?

人間には意識がある

でも主観的に見て、この意識の存在を他者に証明することは実は不可能な話である

脳を解剖してもそんなものどこにも出てきやしない

でも現に僕は意識があることを知っている

これはタンスの間の話と同じじゃないか

自分から見れば「有る」けど、他人から見たら「無い」

つまり有るわけでもないし、無いわけでもないものなんだ

これは先ほどの「空」の話に繋がらないか?

「有」と「無」の抽象化した概念が「空」であるならば

まさに、人間の意識は「空」そのものではないか!

かといって、自分は仏様のように悟っているわけではない...

うーん...

そういえば、「空」を定義した龍樹は「中論」でこのようなことを言っている

「煩悩と涅槃とは同じのもである」と

???

と思われたかもしれない

そう、実は「煩悩と涅槃とは同じなのだ」

人ぞれぞれ、異なる時代、場所に生まれ、全く同じ育ち方をしている人間などいない

人類全体として、多様性は常に拡大され、人間一人一人がその一翼を担っている

もし人類規模で考えて、それをひとりの人間と見なすならば、その存在は世界中のあらゆる人間よりも遥かに涅槃の境地に近い存在だと言えるだろう

しかし、実際は人間は一人一人分かれているのであり、それぞれ異なる経験をして、周囲と異ならしめるように自己のアイデンティティを獲得している

その過程で、みんな迷うこと悩むことがたくさん発生しているが、これは煩悩とも呼べるし、エントロピー増大中としての涅槃状態であるとも言える

このことから、涅槃には程度があることを知るのである

みんなひとりひとりが、「空」なる存在であり、「煩悩」を足がかりに、「涅槃」へ向かっているし、それぞれの「涅槃」があるということ


そしてそれを「橋」と訳したのは、みんながみんな自分の経験を言葉にして、お互いに伝え合っているし、それを後世の人々に伝えている姿が、川に溺れないように橋を架けている作業員に見えたということと、「空」が筒状の何かあらゆる情報を通過させる「橋」のように感じたからだ



このブログはここまでにしようと思う

ここまで読んでくれた方、長くお付き合い頂きありがとうございました

別にここで書いたことは、みなさんが日頃行っていることを、抽象的な表現を用いて述べたに過ぎません

「何のために生きているのか」と大げさなタイトルを書きましたが

その結果は、日頃の衣食住だったり、人との触れ合いだったりするんですね




それでは、またアイディアが浮かんだらペンを取ります
「あ」について考えてみる

日本語の50音に出て来る最初の言葉だ

もともとは「阿」の漢字が由来らしい

「阿」は密教では宇宙の始まりを意味する

「阿」の字をじっと眺める、阿字観という修行法まであるくらいだ

ちなみに「阿吽の呼吸」の「吽」は「ん」の由来だ

以心伝心、呼吸がぴったり整った状態を阿吽と表現した日本人は

宇宙の始まりと終わりが等価であることをすでに知っていたのだろう

神社に祭られている2体の狛犬も「あ」と「ん」の口をしている
僕は余り積極的に人間と関わる様なことはしない

かといって誰からか連絡が来れば快く連絡を返す

一人でいる時は、家で一人読書をしたり、パソコン検索したりしてる

時々、自分が何のために生きているのか分からず、頭を抱えることがある

一日に3回ぐらいだろうか、1回数十分ぐらい、でもこれがほぼ毎日起きる

自分の意志で悩んでいるとも言えるし、自然現象の様に感じることもある

正直、苦しい

まるで深海の海底にぽっかり空いた空洞を、じっと覗き込んでいるような感覚になる

深海だから周りは暗いし静かで、空洞の中ももちろん真っ暗

「何のために自分は生きているのか」と空洞の中に問い続け

そこから聞こえてくるかすかな声をじっと待っている様

そう、かすかな声が聞こえて来ることがあるのだ

だから、デメリットばかりじゃない

しわの全くない透明な膜に、一筋のしわがよったのが見えたとき

心の中に短いロウソクの火が灯る

その度に、僕はそこで見えた光景を日記帳に書き記すようにしている

イメージで浮かぶこともあるし、人生訓のような言葉で聞こえることもある

電気回路のようなシステマティックな形で見えることもある

だから、悩んでいる時間を全く無意味に感じることはない


「人類は、私は、何のために生きているのか」


「何のため」と表現すると、何かこの先に待ち構えている目標に向かうことを前提としているように聞こえる

どちらかと言えば、こう表現した方がいいか


「人類は、私は、なぜ生きているのか」


こうすると、過去と未来の事象を1つにまとめた形で問を問うている様に感じる

さあ、この問に答えていこう(自分なりに)

まず「私はなぜ生きているのか」から攻めてみる

これまで何百日も考えて来た最新の答えは


「私は多様性を拡げるために生きている」


というのが、最も感覚に近い表現だ

もっとシンプルに表現できるとすると


「私は多様性を拡げる」


という表現になる

「拡げる」の部分は、別に「持つ」でも「高める」でもいい


その理由を述べる


...実はその理由は「多様性を拡げるため」である

これは「生きる為に生きる」というよく耳にする答えに近いのかもしれないが

人間、生きのびるためには常に多様性を持ち、可能性を維持しておかないといけないから

「生きることは、多様性を持つことだ」という僕なりの前提がある