生まない人生は不幸なのか | 私は自由。私は完璧。あなたは自由。あなたも完璧。

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子どもがいない人生は不幸なのか



 

ここ1週間で妊活さんから嬉しい報告、残念な報告が続いた。



 

赤ちゃんが生まれる、生まれないの違いは何なのだろうか。




これ以上がないくらいに頑張りつくした彼女にかける言葉がどこを探しても見当たらないので、



原点に立ち返って、これまでの経験から考察し、言葉にしてみようと思う。


(丸1日かかって書いたので是非最後まで読んでほしい)




 

まず、なかなか赤ちゃんが授からない

「妊活」という経験がなぜ必要な人がいるのか。

 




もちろん肉体的な問題が大きくあるが、それについてまとめられた文献は山ほどあるので、今回はそれ以外の角度から見た話をする。



 

① 努力すれば全て結果に繋がるという概念を修正するため(天命を学ぶ)



② 命と向き合うことへの経験、学び



③ 夫婦間で向き合い、切磋琢磨し、理解と絆を深めるため

 



特に③はこの期間がなくすぐに子どもができると


夫婦が理解し合えず、添い遂げることが出来ずに別離する(離婚する)ケースが多い。



それを回避するため、添い遂げるために経験しなければならないことだ。



と、あるカウンセリングで高次元が教えてくれた。



 

そして、それを経験し、気づき、学び経て

妊娠出産する人、しない人に分かれる。




 

子どものいる人生を歩む人は




自分の人生の目的への課題の1つが妊活から学び得ることだった。



ということになる。

 



人と比べ、落ち込み、羨んだり



悩んだり、自己卑下をし



その中で、切り替える方法や


自己肯定感を高める方法や


相手を思いやる事


思慮深い自分、常に努力する自分へと成長させることなど


たくさんの成長、経験を積む。



 

パートナーとも何度も向き合い、絆を深めた先に、子を授かる。 




この経験を経た夫婦の育児への結束は固く、深いはずだ。




ただ、出産がゴールではなく


全くもって始まりにすぎないということは言うまでもない。




子を育てるという過程の中にも、自分が生まれてきた目的に対する課題が往々にして対峙することとなる。



(つまりは死ぬまでそれの繰り返しなのである)

 




子どものいる人生、それは一見華やかで、幸福に映るだろう。




内情を簡単な言葉にすれば



3時間おきの授乳を乗り越え

離乳食を与え

トイレトレーニングをし

急な発熱を何度も乗り越え

病気をしては肝を冷やし

必要な教育を与え、進路に迷い、保護し、



要は立派な大人に育てあげるという重大な責任と重労働、多額な養育費の中で


無償の愛を注ぐ。

 



それは、吐く程に大変で、しんどいことだけれど、子どもの可愛さが勝ってしまい

子どものために、何でもできてしまう。



親になるとはそういうことであり



それを幸福と呼ぶのかもしれない。




 

では、子どもがいない人生は不幸なのか。



 

一般論として、お金も時間も自由に使えて


旅行や趣味に悠々自適に暮らせて


それはそれで幸せではないかと言われるだろう。




 

生涯を通し、子どもがいない人生を歩む人は



全員ではないが

自分がこの世に生まれる前に、子どもを生まないと決めて計画を立てて生を受ける人が多い。




そのほとんどが、前世での何らかの経験を通して、今回は子どものない人生を経験しようときめてくる。




魂の状態で決めたことは、お腹の中にいる間は覚えていられるが



オギャーと誕生した瞬間に忘れてしまうから厄介なのだ。(それが人生の楽しさでもある)

 



輪廻転生の目的として



前回と違う経験を積むことによって、魂は磨かれ、霊格の向上となる。



なので、同じような人生を歩むことは、意味がないに等しい。

 


現代~未来にかけて、益々子どもは生まれにくく、減っていく。



実際ここ50年で子どもの数は半分に減ってしまった。




そのエネルギーも高次元は太古から把握しているため



過去の歴史を見ても、女性は子どもをたくさん産むことが当たり前でそれが実現できる世の中だった。




すなわち、子どもを産み育てるという経験を済ませている魂がすでに大勢いるのである。




なので、ロジックに基づくと、これから先も子どもは減り続け、子どものいない人生を生きる人は増えてゆく。




さらに現代は医療は進んでいるものの、毒にまみれていて、肉体的にも厳しくなってきている。

 



最初に決めて生まれてきた「人生の目的」を変えることは、



ある神仏が可能だといったが、経験上、容易いことではないのだろうと感じる。




これをどう腑に落としていくかが、人生をかけての問いになるのだろう。




私は、これに何とか抜け道がないか、一筋の光を探して今後も模索し続けるであろう。



 

子どものいない人生を不幸だとお思いですか?




と対象を決めずに、高次元へ投げかけた。




 

恐らく答えてくれたのは、ハイヤーセルフだと思う。



ハイヤーセルフはこうこたえて下さった。



 

人には第1の人生、第2の人生と転機がある。

(第5まであるらしい)



子を生む年代は第3期となる。



第3期に

子を育てるものと、子を育てないものでは大きな違いがある。

 



子を生まない者、育てない者には、子どもの代わりに与えられるものがある。

 


それは

自分の為だけに生きる自由である。

(趣味や娯楽に生きる自由ではない)

 


人は、平等に老い、死を迎える。



第3期に自由を与えられた者は



この老いや死と向き合うための時間を



ゆっくりと存分にかけることができる。



それは、悲観的なことではなく



老いとゆっくり向き合うことで



生を味わい、生きていることを堪能できるということだ。

 


つまりは、


残りの人生全てをかけて、


自分という人間を味わい尽くすことができる。


ということなのだと捉えた。



 

幸か不幸かは主観によるが、



私は、その生き方は豊かな人生だと思う。



生む、生まないに関わらず



死ぬ間際に

「我が人生、幸せだった」

と逝けるように



今日を生きていくより他はない。