重複する部分があるかもしれないけれど、
次男くんが生まれた時のことを少し書いておきます。
双胎は低体重児として生まれる事が予想された為、
NICUがある病院を選択しなくてはならず
当時、奈良県内には3件しか出産できる病院はありませんでした。
大学病院で管理入院ののち、35週の2500gで生まれた次男くん。
双子ちゃんとしてはかなりBIG
相方の三男くんも2300gと双子界では大きい方でした。
消去法だったけど、結果として選んだ大学病院は、今もお世話になっていて
私の心臓の異変にもいち早く気づいて頂き
ここを選んで大正解だったと思います。
出産して間もなく、次男くんの脳に異常が見つかりました。(詳しくは双子ちゃんの誕生秘話をみてね)
脳梁欠損と、脳室が基準の何倍も拡大している。
今後、水頭症の可能性あり、その場合は脳のシャンク手術が必要
頭蓋骨が大きく膨らんでくるかもしれない。
水頭症が免れても、
何らかの運動障害、知的障害、発達障害などが出てくる可能性があります。
と担当のドクターから告知されました。
その時、一旦どん底まで落ち込みました。
NICUのガラスの保育器の中は、温度と湿度と酸素が保たれています。
たくさんの線やチューブに繋がれて、裸におむつ1枚で眠る次男くん
ガラス張りの保育器には手を突っ込める穴が開いていて、そこに手を入れて触れることができます。(生まれてからしばらくは抱っこできませんでした。)
その穴から何度も何度もごめんねを言って小さな小さな次男くんを撫でるしか出来ませんでした。
当初は自発呼吸もままならず、抱っこもできない状態でした。
先に退院した私
一番にしたことは質の良い母乳をつくるにはどうすればいいか調べて、母にレクチャーしました。
その次
近所の養護学校の場所や校風、タイムスケジュールなどを調べている自分がいました。
その時の私の頭の中は
障害児を育てていく覚悟ができるか
自分が本当に3人も育てて行けるのか
障害児のいる生活が一体どれだけ大変なのか、、、知らないということへの不安
私の人生の全てを犠牲にしなければならないのか
すごく失礼でデリカシーのない自己中心的な言葉をあえて並べてしまったけれど、
当時の私は、本当に正直にこの不安に押しつぶされそうになっていました。
どうすれば、この不安から抜け出せる?
浅はかもしれないけれど、
私が私らしく生きることができる環境を見つけられれば、安心できるかもしれない。
このころは療育という存在すら知らず、幼児期どうするかをすっ飛ばして、養護学校を調べていたのだから、無知すぎてお恥ずかしい(笑)
けれど、この養護学校のホームページを見て、すごく落ち着いた自分がいたんです。
まずは、タイムスケジュール。
良かった、この時間やと、働くことは出来そう!
働くこと=自分らしく生きること
という私の幸せ方程式が成り立つ。
(この時、能力は封印中で医療職でしたが、やっぱり仕事が生きがいになる人なんやと思う)
バスの送迎もあるし、実家も近いし、仕事もできそうやし、福祉のサポートも受けたら何とか3人育てられそう、、、(ワンオペなので一人で育てること前提)
とまぁ、超ざっくりなんやけど、将来の見通しがついたら、
心配で蝕まれていた心が、段々と元気を取り戻していきました。
大丈夫。私は幸せになれる。
大丈夫。次男くんも幸せになれる。
呪文のように繰り返しました。
そんなこんなで、搾乳した母乳を届けにNICUに通う日々を繰り返しながら、
成長と共に次男くんの脳室が小さくなるのを期待したりもしたけど、
なかなかそんな都合のいいようにはいかず(笑)
何週間かして容態が安定したので一般小児病棟へ移りました。
そうなると、付き添い入院が必要になり、泊まり込みでの双子のお世話をしなければならず、
初めての双子育児は思った以上に大変でした。
マジで1日の大半が二人分の授乳とおむつ替えで終了します。
でも、忙しさに身を置いていた方が余計なことを考えなくてよかったのかもしれません。
次男くんがお腹の中に入ったとき、
能力を封印していたにも関わらず、
「わぁ、すごい子が生まれる。どうしよう~」
と、自分よりも遥かにすごい能力をもった子が生まれてくることを強く感じました。
普通の人と違う。
もしかすると、それが医学的に表すとこの脳の形になるだけなんじゃないか。
そんなふうに思えてしかたなく、退院目前にしたある日、担当ドクターに向かって宣言しました。
「私には第六感があります。この子は私よりも強い力をもって生まれてきています。それが、このMRIの写真では医学的にこう見えるだけなんじゃないかって思います。だから、この子はこのまま元気に育つと思います。」
たぶんこんな感じで言ったと思う。(5年前であいまいな部分有るけど気持ちはこんな感じやった)
先生面食らってはったし、精神的に不安定とみられたかもしれへんけど、
私は、“変な人”って白い目で見られたくなくて
ずっとスピリチュアルな能力を気のせいにして、ひた隠しにしてきた(10年以上も)
超理系の先生の前で、高らかに
息子とこの力のことを信じます!
と宣言できたことが
すごく心を満たして
生きるぞ!って力がみなぎったのを覚えています。
そんなこんなで、意外と早めに障害を受け入れて生きる
という切り替えができたように思ってめっちゃ難易度の高い3歳男子とW新生児の育児に邁進して参りました。
(受け入れるというのは段階があると今では気づいていますが、当時は吹っ切れてるって思ってた。)
退院後も発達外来に通い、今現在も経過観察を続けています。
最初は毎月、徐々に間隔があき、現在は3か月に1度と、年に1回のMRI
いつ検診に行っても、経過は良好。
目で追うし、首すわりも、寝返りも、お座りも、歩けるようになるのも一般的な早さ。
おっぱいもたくさん飲んでぷくぷくで、よく笑う。心配していた水頭症も可能性はなし。
MRIも脳室の大きさは変わらないけれど、脳を圧迫している所見は見られず、
「この子はこんな感じバランスを取りながらで大きくなっていくんじゃないかな」
との先生のお見立て。
双子ちゃんの成長は順調やったのに
私がぶっ倒れる事件もあり💦
(実は頑張りすぎがあだになり、双子が生後2か月の時にぶっ倒れて首から下が動かなくなり、救急車で運ばれるという事件の後に産後うつ発症。生後2~6か月くらいまで記憶がうすくしかなく、写真も極端に少ない)
余談になるけど、うつの時は育児がしんど過ぎて、発狂したり、ずっと泣いてたり、死ぬこと考えたり、吃音になったり、計算ができなくなったり、今までで当たり前にできていたことが、難しくて、しょっちゅう眩暈をおこして倒れてた。
その時、たまたま読んだ本に、瞑想が書いてあって。
その瞑想との出会いが私の人生を変えたといっても過言ではない✨
すごく無になれて、自分の内側を感じることができた。
能力を開放したい
という内なる自分の声に気づいた。
このまま次男くんが大きくなったら、いつか自分は他の人と違う!ということに気づく日が来る。
その時に「変な目で見られるから、隠さないとあかん!」
「ばれたらおかしいって思われるで!」って教えるん?
そんなん嫌や!
この能力は、人を助けることができる素晴らしい能力なんやで!
って理想論ではなく、
自分の経験を元にロジカルに伝えられる人でいときたい。
私の背中を見て、恥じるべき力ではないって証明できる生き方がしたい!!
そう自分の中の自分が叫んでいることに気づいて、スピリチュアルカウンセラーという職業をはじめました。
今ここにacoとしていられるのは次男くんのおかげやね。
内なる声に気づいてから、
その声に従って、生きると
だんだんと正気に戻っていったように思います。
生後6ヶ月の時に二人とも気管支喘息でW入院したこともありましたが、(0歳で2回ずつ入院した)
二人ともすくすくと成長してくれて
二卵性双生児らしく、
全く似ていない双子として育っていきました。
1歳半くらいまでは体が大きい分、三男くんより次男くんの発達のほうが早かったかな。
今思えば段々と、出来ることの差が開いていったのが2歳ぐらいからでした。
長くなったので続きます。
左が次男くん 右が三男くん
