例のごとく号泣
医療従事者も患者さんも、みんなそれぞれに命の尊さを受け止めて、自分らしく生ききろうとする姿に感動しました。
さて、話は2年10カ月前のある日に戻します。
出産当日を0日として、2日目の晩、小児科担当医の女医さんが、旦那さんと一緒に私の病室へ入ってきました。
今日は、双子ちゃんのことでお話があります。
と、硬い表情をしていました。
三男くんは、
羊水を飲んでしまったため、肺が湿っています。
しばらく酸素管理をし、
呼吸がしっかりして、酸素濃度を自力で保てるようになれば、すぐにコット(ガラスのふた)ははずせると思います。
と説明を受けました。
そして、
次男くんですが、
脳に異常が見つかりました。
この部分です。
目の前に、次男くんの脳の写真がたくさん並べられました。
先生は淡々と、説明をされていました。
旦那さんは、前日に知らされていて、ずっと資料と私の顔を交互に見ていました。
先生の説明は、全く頭に入りませんでした。
全神経が、理解することを拒み、思考をストップさせました。
脳に異常が見つかりました。
脳に異常が見つかりました。
その言葉だけが、何度も何度もリフレインして、頭の中を占領しました。
考えることも、泣くことも、笑うことも、
どうすればできるのか、
ただただ、無になっている自分がいました。
先生は、私の様子を見て、
「後日、ご家族と一緒にお話しましょう。」
と言って、病室を出ていかれました。
「大丈夫。大丈夫やって」
無言の空間に旦那さんが、自分を言い聞かせるようにそう言いました。
私はその晩、なぜかよく眠りました。
泣くこともできず、
ただただ、深い闇に身体をぷかぷかと漂わせ、
こんこんと眠りました。
正直、それから数日間の記憶がありません。
覚えている場面は、
告知後、NICUのガラスケースの中の次男くんの頭を触れるのに、手が震えていたこと。
けれど、赤ちゃんに触れた手は、驚くほど穏やかなぬくもりを伝えてくれたこと。
そのぬくもりが、
僕は頑張って生きてるよ
僕を見て
目の前の現実を受け入れて
と言っている気がしました。
たぶん、その時始めて泣いたような気がします。
記憶がとんで、次に思い出す場面は、
担当医の女医さん、私の両親、当時同居していた妹、私の5人でカンファレンス室で詳しい話を聞いた場面です。
通常、夫婦以外に先生が話をすることはあまりないそうですが、
私のメンタルがすれすれなのと、数ヵ月は実家での里帰りとなるので、
病状や、この先のリスク、治療、手術、生活面での注意など、家族に聞いてもらう必要があり、私が先生に頼みました。
簡単にいうと、次男くんの脳はある部分が欠損していることと、脳室と呼ばれる髄液が入っている隙間が正常な大きさの4~5倍
つまりは、脳に大きな空洞があいている状態なのです。
MRIの画像ではその空洞の形が、蝶々が羽を広げているように見えました。
水頭症の可能性も高く、その場合はシャンク手術が必要になること。
今後、何らかの発育障害、発達障害、言語障害、運動障害などが起こる可能性があること。
定期的に発育を検査し、検診していく必要性があること。
淡々と先生は話されました。
私は、不安で感情が溢れ、最悪のことばかり考えていました。
泣くことしかできない私に、妹は帰ってからどのようにお世話をしていけばよいかなど、メモをとりながら聞いてくれていました。
その後、家族で話し合った気がするのですが、はっきりとした記憶がありません。
旦那さんとも話をしたはずなのですが、
それも未だに思い出せないのです。
そんな私を現実世界に引き戻してくれたのが、三男くんでした。
それまで病室でカチカチのおっぱいを痛みを堪えながら絞り、NICUへ運んでもらっていたのですが、
自力で呼吸が安定してきた三男くんのコットが外れ、直接おっぱいを上げることが出きるようになったのです。
三男くんを抱き上げ、NICUのはしっこでカーテンをひき、乳首を吸わせました。
三男くんは、吸引力は弱いながらも、一生懸命舌とほっぺを動かしておっぱいを飲んでくれました。
三男くんの匂い、温かみ、おっぱいをくわえる顔、乳腺がツンとなる久し振りの感覚。
幸福な瞬間。
私は、この子たちを守っていかないといけない!
私は、お母さんでいなくちゃいけない!
私はこの子たちを幸せにしたい!
明るい世界に舞い戻ったような、ほっとしたような、色んな感情が合間見れて
今までと違う種類の涙がこぼれました。
泣きながら授乳する私を、看護師さんは心配そうに見守って下さいました。
私は、一足先に退院することになり、双子ちゃんたちと離れ離れになりました。
私にしてあげられることは何か。
そればかり考えていました。
私に今出きることは、美味しく栄養のあるおっぱいをあげること。
そのためには、しっかり食べて栄養をとって、良い母乳を作らなくてはと、
おっぱいによい食べ物と悪い食べ物を表にして、実家の母へ食事作りをお願いしました。
双子ちゃんたちが帰ってきたら、ちゃんと母乳を上げられるように、三時間おきにタイマーをセットして、搾乳し、冷凍保存しました。
夜中も休まず起きて、暗闇のなか搾乳をしました。
それを旦那さんや父の運転でNICUへ届けにいきます。
それが唯一、母親として二人にしてあげられることでした。
脳室拡大が少しでも小さくなることを期待していましたが、
小さくなることはありませんでした。
呼吸が安定し、コットも外れ、次男くんにおっぱいをあげました。
三男くんよりも、吸引力が強く、食いしん坊の気配がしました。
しばらくそんな生活が続き、
NICUから小児科の一般病棟へ移りました。
そこは、付き添い入院が必要だったので、私も一緒に寝泊まりをしました。
帝王切開した産後の体に、硬いベンチのようなベッドは酷でした。
この二人部屋の病室から、双子育児がはじまりました。
続きます。
