あの頃の私が今から書くことを読んだらどう思うのだろうか。
「あなたの努力によって防げていることなど何ひとつないよ」
って言われたらどんな顔するのだろうか。
そんなことない!
って拒否するかもしれないな。
だって、そのことだけを頑張っているのに、そのことを否定するんだもんね。
モラハラ被害者はみんな言う。
「どうしたらいいの」
「どうすればいいの」
何か「する」ことで、モラハラ被害を防ごうとしてるんだよ。
「する」ことがあると思ってる。
それを「していない」から防げていないと思っている
防げる何かがあると。
その防げる何かを「する」ために答えを探す。
だからこの台詞が出る。
モラハラ加害者から
お前のせいでこうなった、ああなったと言われることの全てを丁寧に丁寧に潰していく。
これ以上指摘されないために。
モラハラ加害者がなまじ日本語を喋るものだから、額面通りに受け取り、これ以上責められないために、二度と指摘されないようにと、必死で改善に努める。
それを「する」ことが解決にはならないにしても、今日荒れ狂うことは防げるかもしれない、と。
モラハラ被害者の願いを知ってる?
全員のモラハラ被害者が同じこと言うの。
本当に全員だよ。
「私はただ穏やかな家族でいたいだけ」
って。
旅行に行けなくてもお金がなくても、
ただ美味しいねって笑い合えたりすればそれだけでいいって。
育った環境、人も場所も違うのに、
全員が言う。
モラハラ被害者の望みはそれだけのことなんだ。
だけどそれだけが叶わない。
どうしても叶わない。
そして
「どうすれば穏やかな家族になれるのか」
に取り憑かれるのだ。
自分の工夫や努力によって、穏やかな家庭を得られるかもしれないという、叶うはずのないものに取り組む。
今日はモラハラ加害者の少し機嫌が良いように「感じた」だけのことを、
昨日の私のあの行動が良かったのかな?
今日の言葉かけが成功したのかな?と、
希望を繋ぐ。
自分の働きかけ次第でモラハラ加害者は変わると無邪気に信じている。
そんなことあるはずもないのに。
幻想を手放せないでいる。
幻想だと気付けないから。
あなたの努力で防げているものは何もないよ。
それは幻想。
あなたがそう思いたかった幻想。
幻想を抱いて加害者に歩み寄るその被害者、
歩み寄った被害者を攻撃する加害者、
それをモラハラっていうの。
あなたが耐えるその日々は、
まるで虫歯のようだ。
痛くて痛くて鎮痛剤飲んでばかりいて
気がついたら神経が腐って、骨まで溶けたみたいなことだ。
モラハラ加害者が変わるかもしれない、という幻想があなたを、あなたの子どもを苦しめていることにどうか気付いてほしい。
あなたは何も防げてはいない。
あなたが本当に幸せに向かいたいなら、まずこれを納得してほしい。
あなたにとってどれだけ不都合な事実であっても。