こんな人でも子どもを愛しているのだから、と脱出を躊躇うモラハラ被害者はとても多い。
子どもと楽しそうに遊ぶモラハラ加害者の様子が浮かぶ。
まがりなりにも夫婦として子の誕生から今日まで生活を共にしてきたのだ。
人は別れを前にすると途端に良い思い出ばかり思い返される。それは人の常だ。
しかしながら、この現象をモラハラ被害に当てはめたら「このままでいよう」とするための材料集めだと認識している。
出ていかない理由を探しているのだ。
更には、出ていってはいけない理由を探している。
それを私はもじもじと表現する。
私は2016年、6年前の9月に脱出をした。
もうじき丸6年を迎える。
私は盛大にもじもじした。
モラハラ加害者に執拗なモラハラ行為をされたその瞬間は、動悸も乱れ呼吸も荒く心の底からモラハラ加害者を嫌悪する。
殺したいほどの憎しみだ。
今すぐにでも出ていきたい、心からそう思った。
しかしそれはいとも容易く日常に溶け込む。
子どもたちはママ、ママと可愛い笑顔を見せてまとわりついてくる。
憎悪を飲み込み、仕事に家事に育児にと追われる。
そうしたことを17年繰り返してきた私は、現状に慣れきってしまっていた。
それは単なる日常でしかなかった。
モラハラ被害が日常のルーティン。
トイレで排泄をするぐらい当たり前だったから。
でも私は16年目(家を出る1年前に出会った)にしてようやく
「それはおかしいよ」と言ってくれる友人たちに出会う。
友人たちは私の話を根気よく聞いてくれた。
あまり遠出のできない私に合わせて、私の住む町に何度も足を運んでくれた。
時には三輪山に登りに連れて行ってくれたりもした。
帰ってからのモラハラ被害者の激怒っぷりが浮かんだが、私は三輪山を優先した。
とても楽しかった。恐らく一年分は笑ったのではないかと思うほど大笑いできた。
「家を出た方がいい。そのためなら助ける」と友人たちは言った。
友人たちの動きは素早かった。
行政書士の先生との面談後すぐに弁護士事務所へと足を運んだ。
その帰りに私は駅で倒れたのだ。
あまりの展開の速さに、私はついていけなかった。
バレたらどうしよう、怖い怖いと思ったら駅の連絡通路で息が出来なくなり倒れ漏らした。
全く起き上がることができなくて、私の携帯で駅員さんが友人に電話してくれた。
ストレッチャーに乗せられ救急車の中で起き上がれたので実母に連絡をした。小4息子にひとりで留守番をさせていたから様子を見てもらえたらと思ったのだ。
「あーもう!こっちは今からお通夜(近所の方がなくなったからしい)で忙しいんやで!」と言われ無言で切った。
そして切った瞬間、また激しいパニックに襲われた。
息ができないのはこれほど辛いことなのだなと頭のとこか奥のほうで考えている自分がいた。
友人はすぐに病院にかけつけてくれた。
点滴に繋がれた私を見て友人は
「とうとう限界きたか」と少し笑っていた。
そして家まで送ってくれたが、帰りの車内でも何度も発作を起こして泣いた。泣くたびに
「こうなって当たり前や。死なへんから大丈夫や」と手を握ってくれた。
家に着いたらもう夜の20:00だった。
モラハラ加害者はまだ帰宅していなかった。
部屋には喪服を着た両親がいて、
母は自分がどれほどの忙しさの中でここに来たのかを大きな声でまくしたてていた。
友人のこともそっちのけで。
それすらも私にとってはいつものことだったので、特に何も思うこともなく、病院でもらった頓服を握りしめながら友人に礼を言い玄関で見送ろうとしたとき。
「お母さん、acnちゃんに大丈夫の一言もなかったな。acnちゃんががどんな人生を送ってきたのかがよーーーーくわかった。
acnちゃんが言ってたことは大袈裟ではなく、言ってたことより酷いとわかった。acnちゃんを心配してたのはハイジ(犬)だけやった」
と言って帰って行った。
親に心配されていないことを、言われて初めて気付いた。
私にとって当たり前すぎて気付けなかった。
帰ってきたモラハラ加害者は、もちろん心配などするはずもなく自転車が無いこと(駅に置いてきた)をやいのやいの言ったり、タバコ吸ってるからやろなどと言ってドタンバタンしただけで寝てしまった。
私はなぜ生まれてきたのかなぁ。
しみじみ思った。
頑張ってきたよ、いっぱい。
いっぱいいっぱい頑張ってきた。
でも今、私の人生にあてがわれた家族、親族ってこんな感じなんだなぁって思ったら、何かがガラガラと音を立てて崩れていくような気がした。
ハイジを撫でながら泣いた。
台所で何度も何度もパニック発作を起こして倒れたまま泣いた。
そして私はトイレに行くことすらままならなくなってしまった。寝たきりである。
弟からラインが届いた。
「夫婦ってお互い様やから、おまえにも悪いところあったんちゃうんか?」と書かれてあった。
だから家を出るのはやめた方がいいということだった。
お互い様?これが?
これがお互い様?
私にも悪いところがあったのだからもっともっとこれからも今まで通り我慢してここで生きていけって?
親族は皆、モラハラ加害者からの攻撃を恐れて私に出ていかないように説得してくるのだった。
それはもう聞くに耐えない言葉たちであった。
誰一人として、私の体調や脱出先で足りないものは無いか?と聞いてくる人間はいなかった。
私の体調や精神を心配し、脱出に必要なことを淡々としてくれるのは血の繋がらない友人たちだけだった。
そんな中で怒鳴るモラハラ加害者や、ここにい続けるように必死で説得してくる親族をただ眺めていた。
ここまでの材料が揃ってもなお、私はもじもじしていたのだ。
脱出のための詰め込みをしていても、思い出が走馬灯のように駆け巡る。
私がここで虐げられながらも紡いだ17年の思い出が私を全力で襲った。
今から全てを破壊する。
自らの手で。
今ならまだ引き返せるのではないか、なんて
必死に大勢の友人たちが汗だくになって荷物を2トントラックに運んでいるというのに。
なんだか無理やりにそうさせられているような被害者意識さえ生まれるほどだった。
私がこの有り様なのだから、家庭内が一瞬の晴れ間のような穏やかさを見せた瞬間のモラハラ被害者なら、どれほどの決意をしても揺らぐだろう、そう思うのだ。
それほどに決意の揺らぎは強い。
この決意の揺らぎの強さこそが共依存だ。
脱出前にもう既に、禁断症状が出ているのだ。
脱出前夜、一睡も出来ないまま、10枚にも及ぶ手紙をモラハラ加害者へと残した。
これまでのことを全て書いた。
違法行為に没頭する姿、私を違う誰かに仕立てて顔を隠してセックスをしてきたこと、モラハラ加害者が当たり前のように17年してきたことを書いた。
どうせ捨てて隠滅を図ろうとするだろうから、コピーをたくさんとっていることも付け加えた。
こうして私は、助けてくれる友人に対して失礼ながらも被害者意識を持ちながら脱出を果たした。
そして6年。
脱出をしてからが苦しいといつも書いているが、脱出を果たしたあとの変化を次の記事で書いてみることにするよ。
私が当時知りたかったことだから。
大いに迷って躊躇ってもじもじしたらいい。
幸せがそこに無いどころか、未来の子どもたちがモラハラ被害に遭ったりモラハラ加害者になったりする可能性を渡すことになっても、自分に湧き起こる共依存の禁断症状を優先するならそれも仕方ない。
決意はいつもあなたの手の中にあるのだから。
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モラハラやDVにはめっぽう詳しいです。
反抗期や親子関係などにも強いです。
行政や警察などへの対応なども詳しいと思います。
脱出後の1番苦しい時にも是非使ってね。
私、それ経験してるから。
umechobin@yahoo.co.jp
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