それはもう、吐き出すと決めたから。
なぜ吐き出すと決めたのかは、この関係においてもう守りたいものがないから。
守りたかったのは、生活と猫だった。
まだ家にいる次男もそこに含まれていた。
私には、生活を支えられるほどの収入がないから。
だけど、もう、自分で読み返しても、なんだこれ、である。
ど貧乏になっても、もうこれ以上、自分の尊厳や境界線を踏み越える人を人生に存在させている自分のほうが異常だ、と思ったから吐き出している。
こんな内容を読まされるほうもしんどいと思うが、まぁ、ある種のエンタメ、本当にあった怖い話として読んでいただけたら嬉しい。
前回の記事のよもやま話を少し。
夫が5回、「俺の親戚がacnを傷つけてごめん!」を繰り返していた時。
4回目のループの時だった。
私は言った。
「もし実の母親がいない場で、母親をほとんど知りもしない他人にボロカスに言われているところに、私の娘がいたら発狂しただろうね」
夫は驚くほどの速さで反応した。
「そりゃそうや!
俺の母親が悪く言われていることを、俺は許さない!俺は母親を守る!そんな酷いこと、見過ごさない!」
大きな声すぎて、私はビクッとなった。
「ま、そういうことやわね。
あなたは母親のためなら、見過ごさず守るんよね。
妻が言われててもだんまりで、庇いもせずで。
この例えの意味すらわかってないやろ」
と言ったらまたフリーズしてた。
そこからの5回目のループだった。
状況は最悪だった。
脳動脈瘤が発覚し、昼の仕事を辞めて収入がない。
1冊目は発売されたばかり。
膀胱炎に、足の指がひょう疽(生まれて初めてなった)、毎日更年期の症状で翻弄されていた。
2冊目の執筆も始まる、というような時だった。
私は「いる」と決めた。
だけど、それは「自分を削る」ということも意味してた。
でもそれはホステス経験で乗り切れると思ってタカをくくっていたけど、事態はそう容易くなかった。
2025年の年末に起きたこのことは、この瞬間に起きたという単発の出来事ではない。
そして父の認知症が発覚する。
それはとても重度だった。
2026年の初め、父は入院した。
既に体重は38キロだった。
父の死にまつわることは何度か書いたし、ここでは割愛する。
親族からの排除に次ぐ排除は本当に酷いものだった。
私は生涯、このことを許さない。
私は、自分の心が危なくなっていることはなんとなくわかっていた。
だからこそ、池再生プロジェクトに心血を注いだ。
池の生き物たちを使って自分を立て直したわけではない。
草刈りや池のことをしている時間だけが、「私」のままでいられたからだ。
その計画すらも夫に幾度となく阻まれたが、私はやり通した。2冊目の原稿も毎日執筆していた。
2026年6月の中頃のこと。
細かい事情は伏せるが、私はとあるお宅に回覧板を届けてご挨拶をせねばならなくなった。
私はとても怖かった。
なぜならその方が一度、酔って網戸を階下に落としたことがあるから。
だから夫に「怖いからついてきてほしい」とお願いをした。夫はついてきた。
私がインターフォンを押したら、夫は3mほど離れて壁際に屈んでいた。見えないように。
私は目が点になった。
出てきたのは、とても普通の方だった。
ご挨拶は滞りなく終わり、私が怖がりすぎやったなと思った。
しかし、この光景はなんだ。
まだ屈んでいる夫に私は言った。
「なんで隠れてるの?」
夫は「隠れているわけではない」と、キリッと言った。
なんだかもう疲れてどーでもよくなって、それ以上のやり取りはしなかった。
私は思うんよ。
きっとな、幼かった頃の5歳児の息子に同じことを言ったら、5歳児でも私の横に立つだろうな、って。
ある意味、ホラーやで。
でも、私は池再生プロジェクトが始まったばかり。
55歳の誕生日を間近に控えていた。
山梨県への独り旅。
だからね、そのままにした。
つづく。
