私は2025年7月14日のことだった。
私は「くたばる喜びとっておけ」のラストがなかなか書けないでいる時だった。
愛猫を8歳で亡くした痛手もまだ癒えてはいなかった。毎晩、風呂の中でミセスの「ケセラセラ」を聞いていたことを思い出す。
「私を愛せるのは私だけ」
もう生まれ変わりたくはないなぁ、なんて思いながら。
私は奈良県の天川村が大好きだった。
透き通った冷たい川に飛び込んで、群泳ぐ鮎たちを見て。
夕方にはヒグラシの大合唱、そして川の音。
ビールを飲みながら、暮れゆく山に見惚れる。
そんな天川村で過ごす時間が何より大好きだった。
2021年に行った天川村をもう一度体験したくて、コテージの予約をとった。
予約開始の2月に。
私は全ての段取りを整え、それぞれに連絡して調整。料金も計算し、鮎の群れを思いながら罠まで自作した。
詳細は省くが、それは直前でおじゃんになった。
それが3年続いた。
私はイライラしていた。
私は車の整備が少しだけできるけど、運転は嫌い。
だけど川に飛び込みたい。天川村に飛び込みたい。
「連れて行ってほしい」
私は何年も夫に懇願した。
明確に伝え、何度も予約を取り、私にできることは全て段取りしたが、やはり毎年、直前になって、夫の意向などで行けなくなるを繰り返した。
7月18日は、私の誕生日だった。
2025年の私の誕生日には夫からの豪華なプレゼントが用意されていた。
「京都の貴船の川床で鮎料理を食べる」
私は行きたくなかった。
だって、川に入れないから。
化粧をして、綺麗に着飾って豪華に並べられた鮎を食べたいわけではなかったからだ。
私は山に行き、山の匂いを嗅いで、川に飛び込んで鮎を捕まえたかった。カエルや虫など生き物たちに触れたかっただけだから。
だけどそのままは言えなかった。
「体調が良くないから行けない」と言った。
だけど夫は「行きも帰りも、食事中も、旅館でも一言も話さなくていいよ。黙って俺のそばにいてくれるだけでいい」と言った。
意味がわからなかった。
3年、「天川村に行きたい」はきちんと伝えてきた。
今度は「行かない」も通らない。
3年という時間を消費した。
今数え直したら4年だね。変えずにそのままいく。
更年期にしちゃ、えらい長く惜しい時間だよ。
私は歯医者にいた。
ぼーっと待合の椅子で、夫とした天川村についての会話を思い出していた。
「なぜ私の、天川村に行きたいという願いが3年も叶わないのか」と私が言った会話だった。
「acnの熱量が伝わらなかったから」
この夫の言葉を思い返すと、待合なのに身体がカーッと熱くなるような怒りに似た感情が湧き出した。
何年も予約を取り、段取りや調整をし、鮎の罠を手作りする人間の熱量が伝わらない?
私は悔しかった。
会計待ちの時間だったが、私は夫にLINEをした。
「なぜ鮎の罠を手作りする人間の熱量が伝わらない、私が熱量を伝えられなかったことになるのか」
などと送った。手は少し震えていたと思う。
すぐに夫から返信がきた。
「皆が皆、acnと同じだけの熱量を持てないってこと。acnは、俺にacnと同じだけの熱量を持てってこと?」と書いてあった。
すり替えだ、と理解した。
それは一瞬でわかった。
私はもう、このような世界でしか生きられないのか、という絶望が私を貫いた。
フラフラとなりながら、歯医者を出て車に乗り込んだ。その時、頭をバットで殴られたような痛みに襲われた。
瞬時に「脳だ」とわかった。
あまりの痛みの強さにウィンカーすら出せない。
目を必死で開けて意識を留め、路肩に車を停めるだけで精一杯だった。
そして救急搬送された。
痛すぎて目を開けられない。
意識が飛びそうになる。
ただ「脳関係である」ことだけがわかっていた。
その時、強烈な感情が腹の底から噴き出した。
「どうせここで死ぬなら、もっと好きに生きたらよかった!」
「どうせここで死ぬなら、自分の気持ちばかり優先すればよかった!」
「どうせここで死ぬなら、誰にも優しくしなければよかった!」
「どうせここで死ぬなら、自分を大切にしたらよかった!」
「どうせここで死ぬなら、原稿を書きあげたかった!」
津波のような後悔だった。
後悔が強すぎて、苦しかった。
涙が止まらなかった。
結果的には私は死ななかった。
あの痛みは脳動脈に亀裂が入り、脳圧の変化によるものだった。破裂しそうな立派な脳動脈瘤ができていた。今もある。
だから私は夫に別居を申し出た。
お伺いではない。通達だった。
だから私は初めての山梨県へ一人旅をした。
だから私は1人で島根県へ行き頭首工を流れた。
父は亡くなった。
母を切った。
娘とも疎遠だ。
長男も自立した。
次男はまだだが、いずれその時がくるだろう。
夫にもう会話を成り立たせることもしない。
私はインスタのリールを作る。
学ぶ時間すら惜しい。やってみて考える。
下手くそでも、長尺でもええ。
作りたい動画だけを作る。
池だって再生する。
草刈りだってする。
もう自分の気持ちを置き去りになんて絶対にしない。
変人だ、宇宙人だ、言われようと、私が私の1番の味方だ。あと、変人も宇宙人も正解だ。それでいい。
私はもう2度と、自分の気持ちを後回しにしない。
私は私でいる、ことだけを大真面目にしていくんだ。
それが私だから。
「くたばる喜びとっておけ」〜歪みと支配たちへの長いラブレター〜
「なぜ逃げなかったの?」
そう聞かれたら、答えはいくつもあります。
でも、書いていくうちに見えてきたのは、
もっと深いところにある「普通」でした。
自分にとって当たり前だったもの。
誰かにとっての当たり前。
それらは、ほんとうに「普通」なのか。
『くたばる喜びとっておけ』は、
DVから逃げた女の話だけではありません。
自分の中に染みついた「在り方」と向き合いながら、
人生を自分に返していく話です。
もし、あなたにも
「これって本当に普通なんだろうか」
と思うものがあるなら。
手にとってもらえたら嬉しいです。
『安全を知らない脳』 ― 回復を目指した視点がとりこぼしてきたもの ―
概念は、現場で生まれる。
私はDVから逃げたあと、安全な場所にいるのに、身体だけがずっと戦場にいた。
眠れない。鍵を何度も確認する。心拍は速い。肩は上がる。
でも、動ける。笑える。
日常もこなせてしまう。
だから本人も周囲も、気づきにくい。
無自覚に。
慢性的に。
過緊張が続いている。
私はこの状態を、
「無自覚慢性過緊張型うつ」
と名付けた。
これは現在の医学的診断名ではありません。
私が現場から提唱する概念です。
「安全を失った脳」ではなく、
「安全を知らない脳」があるのではないか。
そう考えています。


