私はいつか、今まで傷つき崩れ落ちた言葉に対して挑むことをやめるだろう。
次にそんなことがあったらこう言える自分でいよう、なんてことをしなくなるだろう。
相手がどのような意図を持っているとか、そんなことに見向きもしなくなるだろう。
悔しさをバネにもせず、ネジにもせず、
ただそうあったものとして見るだろう。
スピリチュアルや引き寄せや、そういったことまで多用してねじ曲げて解釈してきたすべてを愛しさの欠片もなく眺めるだろう。
私が今、私であることを
まるでそこらに生えている草や木や花のように眺めるだろう。
そうなったとき、私は初めて人を救い上げるのだろう。
この手にしっかりと掴んで、
憐れむこともなく、
些細なこととせず、
巻き込まれながら巻き込まれず、
共依存の喪失の苦しみにただ寄り添うことになるのだろう。
そこからでしか咲かない花と人生があることを知ったから。