まだその違和感を感じているなら、いい。
その違和感すらもなく、居心地の良さより日々をこなすことだけに追いかけられている状況はいけてない。
そんなとき、やりたくないことはやらない!を自分だけに都合よく掃除や人間関係に当てはめたらますますいけてない。
私は捨てられない人間だった。
今思えば、「捨てる」という選択肢の無い人間だった。
とにかく整理した。
今あるスペースを1ミリの隙間もないほどに活用して、今あるものを収納しまくった。
それはそれは美しく増えるいっぽう(笑)
人間関係も、特に会いたいわけでもない人と会っては帰ってから寝込むほどに無理をして、頼まれもしないのに毎度毎度盛り上げた。
アホや(笑)
こっちが嫌っても、あっちから嫌われるのは怖かったんやね。
で、盛り上げることしか自分の価値がないとゆー中2病をこじらせてた。
数年前から色々な気付きの津波にあい、だんだんわかってきた。
ほら、箱の中にお金入ってて、手を突っ込んで掴めた金額もらえるのあるやん?
あれ、手のサイズと穴のサイズを見極めなあかんわけやん?
捨てられない状況って、どっさりお金を掴んで手が抜けないって固まってる状況と似てる。
余分なものを掴んでいる不具合ってある。
それすらも完璧よ?
その不具合に気付くための材料やから。
やけど、あ、掴みすぎ?
って私は気付いていたい。
捨てることに慣れるまで、罪悪感にどっさり苦しくなっちゃうけど、ある地点まで耐えたらふっと楽になるときがくる。
私はそれを身を持って知った。
だから美しくありたいなら、捨てよう。
何を大切にしたいのか、何が必要なのかをわかっていたいなら捨てよう。
会いたくない人に会って疲れるぐらいなら、はっきり断って嫌われてしまおう。
私は自分に秘められた可能性の多さにびびっている。
今まで眠らせていた自分に腹立つぐらい。
道は無数にあったのに。
だから私は捨てるよ。
物に問い掛けながら、感謝をのべながら。
そしてもうしたくないときは盛り上げないよ。笑わせて欲しいから。盛り上げろよ!って丸投げする。
これは「捨てる」をわかったからここに至った。
「捨てる」がこれほど重要だと知らなかったら、なーんにもわからないままだった。断言する。
捨てるを間違える日もある。
それもいい。捨てかたがうまくなるから。
とにかく掃除も人間関係も同じなんだから、捨てなきゃ始まらない。
私を信じて捨て始めた人は、始まるよ。
パラダイムシフトが。
