「明日」というモノに対して何の感情も抱けなくなってしまって。
今にして思えば、この表現は大袈裟だな、と思えるようになりました。
上を見ればキリがなく、それは下を見ても同じで。
ただ、あのときの私は、真っ暗な宇宙に浮かんでいるような気持ちでした。
布団をかぶって、真っ暗な中で目を瞑って、目を強く覆って。
ちかちかとありもしない幻覚の宇宙の中で、ただ死ぬことばかり考えていました。
甘いよね、実に甘い。
でも思考が働かないの。
家の中で繰り返される、狂気と喧騒と血と。
私はイモムシのようにはいつくばって、
あとどのぐらい辛抱すれば朝がくるのかと、数を数えているときもありました。
全部、自分で選んできたことだと思えば思うほど
自分という存在を消滅させたくなって、いや違うか。
消滅させたいのではなく、やはり見えない存在になって逃げたかったのだろうと思う。
どこかで掛け違えたボタンの、どこを掛け違えたのかもわからない。
わかりたくない。そんな気持ち。
そんな中で、私はこの曲をずっと聴いていました。
心を救いあげるような内容ではないけれど、
ただ深深と歌詞が沁みこんできたから
何度も苦しいときほど聴きました。
これも今にして思えば、フフフってなっちゃうけどね。
あの時期にいつも私を励ましてくれた友人がいたけど
彼女は去年自殺してしまった。
その友人とこの曲を聴いていたことが夢のようです。
久しぶりにこの曲を聴きました。
そうしたら、友人とのことや夫婦のこと、
火災で亡くなった子どもたちや、それからの色々なことや
お義父さんの死に様なんかが波のように心に押し寄せてきます。
日々の忙しさに悩めるって幸せ。
育児のややこしさに悩めるって幸せ。
子どもたちに怒鳴れて幸せ。
怒鳴れる子どもたちが、今目の前で生きていることが本当に幸せ。
頭を悩ませることがあるって、なんて幸せなことなんだろう。
休日になると、とたんに関係が微妙になる私たち夫婦ですが(笑)
互いの歯車のいい案配部分を探して、今日も明日も夫婦やっていきます。
これは誰と結婚しても同じだって思うんだよ。
案配がすぐ見つかるか、見つからないかだけの差で。
(その差がすんごい大きいんやけど)
誰が何と言おうと、自分で選んだ以上
この小さな宇宙で帳尻あわせしてでも
大きな声で笑い飛ばして生きようと思う。
生きるという決意よりも先に、生かされていることを意識しながら。
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