信じるということ。 | ■なんのこれしき■モラハラ専門カウンセラーacnです。モラハラ加害者との17年、脱出し離婚してからのこと、全て余すところなく。

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みんなそうだと思うけど、私にも「信じる」ということについての自分なりの価値観がある。


今回の予言について思うのは、私にすると「ガセか否か」が判断基準じゃなかったりします。

その予言の的中率がいかほどであるかどうかは、私がそのことを信じることと全く無関係ということです。

そしてこのことに関しては「信じる」ということとはちょっと違う感じ。


すっごく主観だし、矛盾点盛りだくさんかもしれないけど、私は私のブログにおいて

自分の考えを書いてみようと思います。


私は自分に置き換えて考えたとき、予言が外れてバッシングされる可能性があるにも関わらず

それを公表してしまえる心意気を感じてしまうんです。

そのことで書籍なども発売されていますし、そういう利益が生まれていたとしても

世界に配信するなんて、私であればできないなと単純に思ってしまう。


こういったことに拒否反応を起こしてしまう方には、申し訳ない内容が続くけど

私は私の知る人がもし、「夢でそういう光景を見た」とか「あなたが事故にあう夢を見た」と聞いたら

「ちょっと気持ち悪いから気をつけよう」と思うタイプです。

そしてそんなとき、当たるかどうかなんてこれっぽっちも心に浮かびません。

そんなことばっかり言ってくる人は違う意味で警戒もしますけど、

基本的に「ありがとう」と思うタイプです。

外れたからといって、責める気持ちが浮かんだこともない。


今回の件が、外れたらそれはそれでとっても嬉しいことだし

準備するに越したことないよね。という感覚。


今までのデータが外ればかりだからあれはインチキだ!と思う気持ちはわからなくないです。

でも別に手品してるわけでもないのになって感じなんです。

なんかね、

「的中率が高いから信じよう」

「的中率が低いから信じない」

こういう考え方を私はしないみたい。

しないから特に気に止まらないみたい。


これは人が知能を持って、何が信じるに値するかを判断する大事な基準なんだと頭ではわかっていても

どうしてもそれが「信じる」ってこととは繋がらないのです。


信じる信じないの話で一番近いと思うのが、浮気の話。

私は友人との「旦那さんの浮気話」の時に、よく意見が違えてしまうことがあるの。


「一度浮気されたから、信じられない」


頭ではわかるの。

私もそうだったときがあったから。

でも今は違う。と思う。


ただの持論だけど、

浮気されたその後もずっとそのことで疑って責める或いは

疑いというロックを外さないまま心の中では浮気を疑って接する

そういう行為が更なる浮気を誘発するんじゃないか?って思ってるの。私。


かといって、「信じる行為で浮気が止む」とも思っていないのです。

そんな風に考えることは、ただのエゴを含む期待で、よい結果を生まないと思ってる。

いくら暖かい笑顔で出迎えて見送ることを続けていたって

その行為が「浮気をやめさせる」ということを軸にしていたら意味がないと。

だってきっと止まないからね。

それで新たな浮気が発覚したら、「こんなに頑張ったのに」

「のに」が恨みのとぐろを巻くから。


数日間笑顔で接したからって、事態が好転するはずがない。

数日間の試みで事態が好転することを期待してしまう浅さ自体が問題点だと

私は考えてしまう。


なんて言ったらいいんだろう。


私はね、「信じる」ことに条件つける時点で、それは「信じる」じゃないよと思ってしまうってことが言いたいの。


「信じるに値する行動をしないから疑ってしまう」

「裏切られたから信じられない」


「信じる」ことができない理由をいつも相手のせいにして

自分が信じられないのは仕方がないことなのだと自分をかばってばかりいて何になるのだろうって。


条件のないもの、掛け値ないものこそ「信じる」なんじゃないか?

と、どうしても私は考えてしまうのね。

私にとって、「信じる」って、相手がどうあれ、どのような状態であれ

自分自身が「信じる」かどうかを「決める」こと。

決断なのよ。


相手がどうあれ、自分が信じるかどうかを決めることで

相手が疑わしい行動をするかどうかは関係ないというかなんというか。


かといって矛盾するのは、いくら信じるといっても

相手が包丁持って血みどろで帰ってきたときには

それなりに聞くと思うのよね。


私のいう行動というのは、多分

基本的な相手に対する信頼の部分なんだと思う。


蛇足だけど、浮気をしてほしくない気持ちの根っこに何があるのか考えたらね

ただの所有者意識、独占欲、管理欲求だったわ。

そういう自分のエゴを相手に叶えさせようとする働きが束縛。


やっとこくだらないと思えるようになった。


こういうのはすぐにスパイスの域を超えちゃって見苦しい。

手放そうと意識したって、自分の正当化に隠れてすぐに被害者になってしまえるから

本当に難しい。


話が大幅にそれたけど、つまり私は

「信じる」と決めたことは、それを選択したことによる不具合も承知で

信じてしまうってことなんです。


長々とすみません。



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