という考え方が大好きな私。
だってね、私の経験のみで言うと本当にそうなんだもん。
そうじゃない!という人と話あっても平行線だろうから、あえて話し合うことはしないけど。
自分が信じていることって、共感している人とだけ共有したいよね(笑)
気をどのように持っても、どうしようもないことがあることも知ってるけど
その「どうしようもない」という感覚って、現実問題どうしようもないか
気持ちの上でどうしようもないと感じているかで比較すると、圧倒的に自分でそう思い込んでいることが多いと私は思ってるの。
範囲や限界を自分で設定してしまうというようなことね。
先日も書いたけど、私はなんでも手広く興味を持ってしまうことが多くて
手を出してみるものの、最後までやりとげることをしない中途半端な人間だと自分を認識してます。
書くと言って記事を書かないこともそれに近い。
自分の中にあふれ出す意欲があることはいいと思うんだ。
すべてはそこから始まるからさ。
でも成し遂げない、形にしない、完成させないってのは自分でも自分が嫌いな要素のひとつだった。
私はそこが自分で嫌だと思っているのに、これってなかなか治るとかいう類のことじゃなくてね。
編みかけのセーターばかりがダンボールにたんまりあるような状態に意識はあっても、改善するという行動には結びつかない。
なぜ結びつかないかを考えたら、それを完成させるということが生活に直結していないことと
それを完成させることに焦りがないのね。
ってことで、完成させるという行動は、それなりに焦りや期限をもうけないといけないことにも気づく。
私は家事にしても、尻に火がつかないと腰をあげないところがある。
やりだすと早いの。
ご飯にしたって、3~4品のメニューを並行してパパパと30分ぐらいで作ることができる。
気合い入れたら30分で作れると思うってしまうから、腰があがらない。
洗い物が嫌いなんですが、その洗い物だって気合い入れたら15分もかからないのに、
後で後でと伸ばし伸ばしにしてしまう。
そしてそんな私のだめなところが、もし自分の周囲も同じようなことをしているとしたら
私はきっとそのことに問題意識も持たないと思うのね。当たり前だけど。
そんな友人関係を結んでいたかもしれない。
自分がそのレベルだからこそ、その状態でいられた。
勝手な主観に過ぎないし、最低な視点だけれど
私はその友人を見て、自分はまだマシであるという風な解釈をしていたように思う。
ひどいよね、私という人間。
あの子はもうこの世にいないから、このことを話し合うことはできないけど
もし会えたら、完成させること、やりきること、不完全でも成し遂げることの重要性をえらそうに垂れてみたいな。
押入れから雪崩が起きそうなほどの彼女の書きかけのモノをひとつでも完成するように声をかけて
一緒に階段を上るように互いに上向きにひっぱりあえたら、って思ってしまった。
叶うことはもう無いけれど。
今、私は完成させることのすごさってやつをかみ締めている。
37歳にして。
遅いか早いかわかんないけど、私は形がどうあれ、どれだけ稚拙でも
まずは完成させたり、やり遂げたり、自分で期限をもうけて終わらせることの重要性を心から感じている。
今日から本格的に年末行事(主人の友人たちの自宅宴会とおせち)などで超忙しくなるけど、
夜中にすることの予定をきちんと遂行しようと思う。
私にはやり遂げられる力があると、自分で自分を励ます。
気の持ちようで、気持ちの持っていきようで、自分を奮い立たせようと思う。
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