不足を感じる不幸の話。2 | ■なんのこれしき■モラハラ専門カウンセラーacnです。モラハラ加害者との17年、脱出し離婚してからのこと、全て余すところなく。

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前回の記事コチラ→「不足を感じる不幸の話。1」


どんなことからも

見つける気さえあれば

感謝や幸せを感じられる材料は見つけられる

っていうか、常に側にあるって本気で思ってます、私。



もめ事の中からも。
悲しみの中からも。


大袈裟に言うけど
たとえ我が子が死んでも。

見ようとせなあかん感謝や幸せは
常にそばにあって
見ようとするかどうかだけの差なんやと思う。

幸せか不幸って

多分、それだけの差。



ちなみに
我が子が死んで
「幸せ!」と思うってことじゃないよ。

そんなん悲しいし死にたくなるぐらいに苦しいに決まっている。

こんなん書いてて
恐らく死にかけること間違いなし。

だけどどんだけ悲しんで苦しんでも
生き返らへんから。
いつになるか想像もつかないけど

悲しみと向き合い
いつか笑える場所へ向かおうとはすると思う。

理想論。

体の向きは形だけでもそっちに向けておこうと思ってる。


不足に目を向ける人は、きっと本当にしんどかったり悲しかったりするんだろうね。



人によってはストレスの耐性は人によって違うから

会社内の同僚に無視されて死にたくなる人もいれば

どってことない人もいる。


その耐性が無かったり、過剰に自分を可哀相がってしまうのかもしれない。



ただね、本当に苦しみや悲しみが胸の中にある人は

おいそれとそれを表現しないような気もするけどね。

想像に過ぎないけど。




そう考えていくと
不満や不足を感じることすらも
それを見ようとしていなかった自分に気付くための材料なのかもしれない。


これが本当だったらなんてシンプルなことだろう。




気付くか気付かないかの差だなんて。

なんて思ったりするわけです。



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