※好き勝手な持論です。
お気になさらないように!
因果応報って言葉があるじゃない?
これ、よく悪い意味に使うことが多いように思うけど
私はとても好きな言葉です。
物事はこの言葉通りになっているといつも感じる。
普段、自分自身もままならないような頼りない私ですが
ありがたいことにたくさんの方の悩みを聞く機会があります。
そんな時、いつも思います。
なるようになってるなぁって。
とかく、自分も含め人は
自分の頑張りに大してはとても甘く見積もると思ってます。
そしてそんな自分を客観視することがとても難しい。
自分に甘くなっていることに気付くことは容易じゃないなといつも感じます。
別に自分に甘くてもいいじゃないかと思うときもありますが
その甘さの立ち位置がいいものと悪いものがあると漠然と思う。
「自分に優しく」ということの解釈が
「自分の欲求の通りに動く」ことではないということに似ている。
「自由」が何をしてもいいというわけではないみたいに。
頑張りすぎたり肩に力が入りすぎているときに
「頑張らなくていいよ」と自分に声を掛ける必要があるときも
あるとは思うけど
時々ね、
頑張らない人ほど、そうやって自分に甘い言葉を掛けるなぁって
思うときがあります。
そもそも、人知れず頑張っている人は
自分の頑張りを頑張りだとは思っていないように思うし
口にはしないと思うの。
そして
「頑張っている」に「のに」がついているときの頑張りは
もしかしたら間違った頑張りなのではないか?と思うようにもなった。
だってね
お弁当を毎日作って、おいしいご飯を毎日作って、
どれだけ家を快適にしたって、そうしていれば家庭が円満になるかっていったら
それはまた別の問題やと思うんです。
いや、快適にすることが無駄と言っているわけじゃないです。
快適に越したことはない。
その行動の意図が
「旦那が浮気しないように」
だったら無駄かも、って思うときがある。
雨風がしのげて、ご飯を三食食べられる家なら
子供は育つけど、それだけじゃ子供の心が機能しないのと似ている。
「こんなに頑張って家事をしたり家を快適にしているのに!」
という愚痴が聞こえてきそうな人がたまにいます。
物事を始めるときの動機の根っこって
私はとても重要やと思ってます。
とにかく儲けたい!から発明を始めた人と
いい商品を作りたい!から発明を始めた人とでは
後々がすごく違うように思うのは私だけ?
浮気されたくなくて毎日家を快適にするのと
家族の笑顔が見たくて快適にするのと
すっごく違うように感じてしまう。
浮気されたくないというのは
女の共通の気持ちだとしても
それを穿り返すと
「究極の所有物の自己愛」を感じてしまう。
もしかしたら、家が綺麗じゃなくても
その家の太陽にあたる妻が
穏やかに楽しそうにしているだけでいいんじゃないか!?
とすら思う。
「それでも浮気する人はする」
という声が聞こえてきそうだけど
いいのよ。
問題はするかしないかじゃないから。
「しているかも」
と疑うか否かの問題だと思うから。
疑う気持ちと
相手の浮気をしたい気持ちはセット。
同じレベルだと感じる。
そういう因果応報を感じるんです。
疑って詮索して、情報を知り得た。
そして冷たく接した。
(浮気しやがって!という自分の怒りを発露することが相手に反省を促すと思いこんでの行動)
相手は当然、頑なに嘘を通す。
(相手の態度でばれてるとわかっても嘘でしたと言える内容ではないので嘘を通す)
それが嘘であることを知っているからより冷たい態度になる。
(自分も正攻法で知りえたわけではないけど、嘘だと知っているのでけったくそ悪いという感情を出す)
余計に隠す。
(当然、そうなる)
余計に知ろうとして探る。
だんだん鬱陶しくなる。
(嘘をつく努力もしなくなる)
鬱陶しがられていることを感じて悲しそうな顔で迎える。
(悲しそうにしたら改心するのではないか、という期待が少しあるが逆効果)
家から余計に遠ざかる。
余計探る。
浮気相手とのほうが楽でいられる。
(いつも詮索され悲しそうだったり冷たくされる家では息が詰まるから)という、流れがとても多い。
「しちゃいけない!と思うのに、してしまう」
のは、浮気も携帯を見るのも同じだと私は思ってます。
そういうレベル。
続く。
※もう続きは書き終えてます(*´艸`)ナガクナリスギタノ~
いつも中途半端ですみません!
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