前回の日記→不思議な類友法則。
という日記を書きながら派生していった日記です。
夫婦やカップルも
友達もどんな集まりも
似た価値観を持っていたり
似てないように感じても精神的なレベルが同じだったりするんだろうな。
親なんかはもっとそうだね。
激しい嫌悪の度合いが
執着の現れだったと気付いた時は
かなり凹んだけども。
「あの人とは違う!」
と張り合って、揉め続けることが
すでに同じ土俵で同じ範疇やなぁって。
精神世界が変わってくると
相手をどないかしよう、変えよう
或いは
「なんで変わらないのだろう」
と思うループの空間から
そっとおりることが出来るんだよね。
相手を変えようとすること自体
相手が自分を認めないこと自体
全部、自分も同じことしてたって
気付いた瞬間のあの脱力感。
だって親にわかってもらいたいと思うことは
すでにもう
「理解させたい」というコントロールの一種だから。
「どうしてわかってくれないの?」
という疑問は
「自分は理解されていない」という認識だけど
「理解をしない相手を理解していない」証拠でもあるから。
どっちもどっちの鏡だなぁってね。
じゃあ、今まで考えもしなかった
試したこともないアプローチをしてみようって思ったの。
それが
「張り合わない」ことだった。
「私は正しい」
と思い込んでいるのはきっと親も同じだなって思ったから。
話すことで理解が深まるなら
それに越したことはないけど
そんなことが出来るなら、そもそもこんなにこじれてないよなーって。
これは育児とソックリとも思う。
続く。
※この続きも書いてしまった。
長すぎ注意報。
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