なぜ
少しの辛抱が出来ずにいるときほど
自分ばかりしんどい思いをしていると思ってしまうのだろう。
なぜ、自分以外は楽をしてるみたいに見えてしまうのか。
周りは辛さを漏らすことなく頑張っているだけなのに。
少しの労力を惜しんで
なのに
人からの親切を当たり前に思い
自分のしたことばかりに
大変さを感じるのだろう。
自分は
自分のことばかり考えているというのに
そんな自分を感知できずに
人が自分のことを考えていないことを
怒れてしまうのはなぜだろう。
不思議な現象だと思う。
自分はとても頑張っていると言えてしまうことが。
自分はとても思い遣りがあると言えてしまうことが。
やはりどれだけ考えても
そのように自分を表現する人に
そのような頑張りや思い遣りを感じることが
私は無い。
私の目が曇っているのか?と自分を疑う。
自分をそのように表現する人はそれだけ自分に自信があるはずなのに
その言葉を聞くだけで、とても安く感じてしまうのは
自分の目が曇っているのか?といつも凝視する。
本当に頑張っている人は
頑張っていることをおくびにも見せない気がして。
本当に思い遣りのある人は
思い遣りを隠そうとする気がして。
誰かのために費やした労力に惜しむ気持ちなどなく
自分が好きでやったことだからと
考えもしない気がして。
その心の在り方
気遣いを感じさせないさりげない気遣い
自分の労力なんてものに
露ほどの価値も見出さない謙虚さに
私はひれ伏すほどの光を感じることがあって。
どうしてそんな風に
見苦しいほどに
自分の苦しみだけにロックオンしてしまえるのか
そのメカニズムを知りたいと思ってしまう。
それだけで
共依存とかACとか
そういう名称なしでも
人間が機能するような気がして。
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