前回の日記の続きです。→「携帯を盗み見てしまう行為の考察。1」
大好きだからこそ調べたくなるという気持ちの根っこは乙女心なんだよね。
でも携帯を見てしまいたくなるほど大好きなお相手を
本当の意味で愛していて、今後も愛されていたいなら
携帯見るのは得策じゃないわけで。
「携帯を見る」
という行為は、ひとつの表れに過ぎない。
本心は「相手を把握・管理したい」という欲求。
その欲求がどこから来ているのかというと
「コントロール不能になることの恐怖」なわけですよ。
なぜ、コントロール不能になることに恐怖を感じるかというと
「所有物」の意識が高いんじゃないかと私は思っています。
恐怖や不安を生み出す根っこは、複合的にあってそれだけじゃないけれど。
その行為によって、相手の行動を把握できる、
先手を打てる、色々なことが未然に防げて万事うまくいく、
と、思うからこそ見るわけだけど
丁寧にその行動を紐解いたら
ものすごく自分本位な管理したい欲求が見えてくる。
「信じたいからこそ見る」
ってのも聞いたことあるけど
それも自分本位やと思ってる。
携帯を見ないと信じられないと思い込んでいる自分の信頼力の無さを棚にあげて、
見ることを正当化してしまってる。
「自分が信じたいから」っていう自分本位。
これって親子関係とよく似ているなっていつも思う。
子供はいつの時代も、管理・把握しようとすればするほど逃げる。
つまり過干渉過保護ね。
その行為が過ぎると、男の子の場合は暴れちゃうし
女の子の場合は拒食・過食・リスカなんかを始めちゃう。
そうなってしまった子供たちの精神を解明しようと躍起になるけど
その子供たちに現れた現象は、
風邪にかかるみたいに当たり前の生理現象なのかなとすら思う。
その風邪の症状が、頭痛や鼻水や喉の痛みなど色々と種類があるだけで。
「どのようにすれば見ないでいられる?」
ってよく聞かれるけど、見るか見ないかは自分が決めることだから
全部自分にかかってる、自分次第なんだよって答えるけど
よくよく考えたらそれも曖昧な答えだよね。
きっと、楽に見ないでいられる方法を聞きたいんだとは思うけど
「見ない」ということを選択しても楽でいられるようになるためには
とことん懲りる出来事が私にはあったから
「いっぺんとことん落ちてみ?」
と、また曖昧なことをいう私(笑)
その部分の我慢やしんどさぐらいは頑張りーやと思うけど
当時のしんどさを思い出すと、それもきっついなぁとは思うので
ひとつ確信を持てたことを。
「見ないほうが楽」
それは相手がどうあろうが、信じようとするかしないかという
決意の問題だよってこと。
決意ってことは、自分が決めることだよってこと。
あー、やっぱり曖昧だわ(笑)
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