暑さの質が少しだけ変わってきた気がして。
そうなると夏の終わりを予感させて少し寂しくなる。
盆休みも今日で終わり。
それは嬉しいけど(笑)
降って湧いたような嫌なことなんて、無いなって思い知らされるわ。
意味を履き違えるとなんでも大きくズレちゃう。
「自分を愛する」
だってそう。
過保護過干渉を「愛する」と定義して
それを「愛する」だと思い込んでいたら
自分が嫌だと思うことを全部しないことが「自分を愛する」「自分に優しく」ってことになってしまう。
嫌いな人と話さないとか。
それはいたって自然なことかもしれないけれど、話さないでいられる関係なんて実は少ない。
関わるからこそ嫌いになるわけで、
いつも「話さない」ことばかり優先させていては、単に自分に甘いだけ。
自分への過保護過干渉。
甘やかし。
会社内とか、恋人の親族とか結婚相手の親族とか、お隣さんとか
自分を取り巻く関係の中で
そんなことを選択して他者の存在をなくしてけば
自分はピカピカだと思い込んで
全く研磨されていないモノに成り果てる気がして。
自分に厳しくっていうのも同じで。
自分の思い通りに動かない相手を
叱ることが「しつけ」だと思い込んでいれば
我が子をボカスカとやって死んでしまっても
「しつけでした」
と本心から思っているだろうし。
なんでもかんでも我慢を美徳とするところも違うだろうし
そこらへんの定義の差が個々で違いすぎて
「自分に優しく」
「自分に厳しく」
が、あまりにおかしいと
どれだけストイックに心がけても
ズレるかもしれない。
だって、正しい愛情だと信じ込んで
子供の世話を焼き干渉を続けたら
その子供はおかしくなるもの。
おかしさは表面には現れなくても
その子供が大人になったとき
おかしな関係の結び方するもの。
親の暴力を見て育った子も
当時はあれだけ凍りついた目で見つめていたはずなのに
気がついたら
女の子は暴力受ける側になってたり
男の子は暴力振るう側になってたりするもの。
ってことで。
本当にどうしようもないと思っていた盆休みでしたが
主人の嫌味を映す鏡になっていたのは私かもしれないと
主人に起きる態度の種まきをどこかではしているかもしれないと
そこに何も見つけられないなんて、そんな甘っちょろいことを言わず
探してみることで気をそらそうかなと思っています。
だって、やっぱし鏡であることは確かなんよね。
運転の荒さを前年度から心配していたし
寝れば事故の夢を見るしで
まず主人の運転する車に乗ること自体が苦痛以外のなにものでもないわけです。
体中が筋肉痛になるほど、硬直しています。
そんな嫌々な気持ちを腹に持っていました。
こういうのってすごく難しくて
「安全運転頼みます」とお願いしてどうこうなるものでもないでしょ。
お願いすることで
「安全運転してないみたいやんけ!!」と荒い運転になるのは見えているし
子供がダダこねたり、主人のキツイ冗談に娘が泣き出したり
そういう忍耐を必要とする場面で荒くなるので
手がつけられないのです。
「子供が乗ってるから」
まっとうなことを言えば言うほど、それは荒さへのエネルギーになり
非常に危険なので、貝になる。
ま、とにかく何を言っても車を降りるまでは
何もしないほうが賢明だとこの10年で知りました。
そしてそういうことを何年も重ねて経験した私は
盆休みの前から、盆休みが怖かったのです。
その部分において、一切の信頼をもっていないといえます。
来年は、私が運転すると言ってみようと思うけれど
言うことでまた何かを逆撫でするみたいなので今回は実現しませんでした。
とにかく、私は
しばらくの間、考察に徹して
主人と人間らしく関わるのをやめたいです。
どうでもいい人ではないので
子供たちの巣を穏やかにするためにも
この人との関わり方をもう一回きちんと考察しないと
代々続く
「傷つけ排除する」
関係の結び方ばかりを残してしまう。
しゃーないよね。
自分で選んだんやもん。
収支選択する時期はもうとっくの昔に過ぎちゃってるから。
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